http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3334365
自衛隊が明日から軍になったって驚きもしませんし憲法違反でもないとは思いますけどね。
あの憲法、余計な文言を盛り込みまくって解釈を可能にしているので、
軍を持つ意思があると解釈すべきです。
一言突っ込むなら、てめーの軍じゃねえ、という程度でしょうか。
さて、零戦。
人によって高評価だったり、けちょんけちょんだったりしますが、
その根本原因として、格闘戦には二種類あるということです。
一つは、零戦が得意なぐるぐる相手のケツを狙って背後を取り合う格闘戦。
もう一つは、高速を維持したまま一撃離脱をする格闘戦。
後者を、便宜上機動戦と名づけましょう。
また、もう一つの原因として、WW2当時のパイロットは、
みんな格闘戦をしたがった、ということも重要です。
理論や過去の実績の分析では、すでに機動戦の時代に入っていました。
っていうか、相手が速いと追いつけないので、パイロットも
「格闘戦は腕でなんとかするから(ならないけどね)もっと速度を!!」と、
要求したので、結果的に機動戦用の機体が増えたということです。
さて、零戦。
登場当時のパイロットの感動ぶりを見ると、相当に優秀な戦闘機だったようです。
前任機である96式戦闘機も(日本軍の中では)十分高性能だったので、
そこからさらに、ということであれば相当レベルが高かったのでしょう。
米軍が捕獲しテストをした結果でも、上昇性能や加速、速度で軒並み当時の米軍主力機を上回っています。
一方で、欧州勢にはどうかというと、1941年初期の時点で、零戦がようやく500km/hを越えた頃、
スピットファイアVはすでに600km/hを達成していました。
が、先述の通り、世の戦闘機パイロット達の頭の中は格闘戦しかありません。
もちろん、最初の一撃は機動戦ぽく急襲を仕掛けることになるのですが、
そのあとは各自格闘戦で戦っていたようです。
高速の戦闘機というのは基本的に小回りが利きませんから、
零戦相手に格闘戦をしてしまっては歯が立たず、
ポートモレスビー上空でのスピットファイアの惨敗(しかも連敗)や、
1943/2/18のバレンタインデーの虐殺につながるわけです。
特にバレンタインデーの虐殺では、F4UやP38などの額面性能では圧倒する新型機で
負けていますから、衝撃は大きかったでしょうね。
しかし、1943年、昭和18年2月という時期は、
零戦にとって転機の時期となります。
米軍に無傷で捕獲された零戦の解析が終わり、
有名なジョンサッチ少佐による「機動戦のすゝめ」が
米海軍にばらまかれたのがこの月だからです。
全体の戦史でも、ミッドウェー以降連敗続きと思っている人も多いのですが、
1943年の中盤までは勝ったり負けたり、戦線の大きな縮小もなく健闘しています。
有名なガダルカナルの戦いがまさに1943年2月までだったりします。
さて、サッチ少佐がアレはだめ、これはダメ、とまとめた
ゼロ戦禁止三か条を見た米海軍パイロットの反応は、
「どうせいっちゅーねん」
というものでした。サッチ少佐は機動戦をしろ、ということを言いたかったのですが、
この時の米軍パイロットの反応を見る限り、
零戦の高性能ぶりと格闘戦にこだわったパイロットの矜持が伺えます。
サッチ少佐の戦法が海軍に知れ渡ると、いよいよ零戦は勝てなくなります。
日本海軍パイロットの証言でも、1943年2月以降は落とせなくなった、というものがあります。
零戦も対抗するために改造を重ねますが、
長所を消してしまうような方向性だったため、より苦しくなったようです。
坂井三郎も、52型のベテランよりも21型の若手の方が生還率が高かったと書いています。
よく、零戦の格闘戦はベテランじゃなきゃダメで、新人でもできる一撃離脱に敗れたのだ、
というような意見も耳にします。
しかし、サッチ少佐の戦法にも「そんなことしたら正面衝突するわ」と批判的な意見も多く、
坂井三郎の例からいっても、零戦は必ずしも難しい飛行機ではなかったと思います。
ちょっと急用が入り、不完全燃焼ですがここまで。
続きはまた気が向きましたら。
ログインしてコメントを確認・投稿する