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哲学 Φιλοσοφιαコミュのハーバーマス  マルクス主義と関連ある哲学者です。それも生存している現代哲学者。  ユルゲン・ハーバーマス(1929年6月18日ー)は、ドイツの哲学者・社会哲学者・政治哲学者です。さすがにWikipediaにもきちんと掲載されていましたので、そちらも併せてどうぞ。  第二次世界大戦後、当時のドイツは文化の面でいま一つさえませんでした。ワイマール体制下でパッと花開いた百花繚乱の時代と比べるとあまりにもさびしいものでした。ドイツが東西に分割されるとともに、ベルリン自体が東の海のなかの孤島状態で、二つに分断されていました。こうしたなかでは、ドイツ発の思想ファッションも勢い貧弱なものとならざるをえず、ハーバーマス一人による孤軍奮闘状態だったのです。  ところでハーバーマスは古城とビールの町・デュッセルドルフ生まれで、ボン大学で博士号を取得、1955年からフランクフルト研究所で助手となり、アドルノとホルクハイマーの影響をたっぷりと受けました。それだけに彼の学問にはリベラル化したマルクス主義の低温が残っているように感じられます。  彼を一躍有名にしたのは1982年の『公共性の構造転換』でした。彼は18世紀の啓蒙主義時代には芸術や文学ではサロンが、続いて19世紀の自由主義時代には自由に論議をする場としての公共圏が成立していましたが、それが現代においては委縮してしまったたプロセスを明らかにしています。  こうした(構造転換)の理由として、彼はますず第一に19世紀末からの後期資本主義社会への変化をあげ、それが世論の脱政治化をもたらしたと説きました。そしてその原因は、第一に、経済体制の安定成長を確保するために国家の干渉が増したこと、第二に、研究と技術と国家行政の相互依存が深まっていったこととします。マルクス主義者流にいえば、現代の独占資本主義が国家独占資本主義化したと言いたいのです。  このペースの上に彼は真の民主主義を再建しようと試みます。人々の日常生活の社会的かつ文化的な内容は、言葉などを仲介とした人々の相互作用と不可分な関係にあるとし、そのうえでコミュニケーションを考えるのですが、それは単なる平等な立場に立った会話ではなく、その背後には社会が規定する規範があり、この規範の構造を明らかにするすることなくコミュニケーションを論ずることはできないとし、現代ではこの規範のあり方によってコミュニケーションが体系的にゆがめられていると説きます。そして、この歪められたコミュニケーションを正すためには理性が必要であるとし、近代的理性肯定します。さらに、それまで痛烈に批判してきた理性と、それによる規範をとらえかえし、自由と公正が真理と無関係ではありえないことから、真理を求める理性の深化と規範性の拡大を求めよようとするのでした。  ハーバーマスの学問は近代理性との格闘でありました。彼は、フランクフルト学派における理性が意識の問題であったのに対し、コミュニケーションの構造であるとし、解放の道をさし示すのであります。

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ハーバーマス

 マルクス主義と関連ある哲学者です。それも生存している現代哲学者。
 ユルゲン・ハーバーマス(1929年6月18日ー)は、ドイツの哲学者・社会哲学者・政治哲学者です。さすがにWikipediaにもきちんと掲載されていましたので、そちらも併せてどうぞ。

 第二次世界大戦後、当時のドイツは文化の面でいま一つさえませんでした。ワイマール体制下でパッと花開いた百花繚乱の時代と比べるとあまりにもさびしいものでした。ドイツが東西に分割されるとともに、ベルリン自体が東の海のなかの孤島状態で、二つに分断されていました。こうしたなかでは、ドイツ発の思想ファッションも勢い貧弱なものとならざるをえず、ハーバーマス一人による孤軍奮闘状態だったのです。

 ところでハーバーマスは古城とビールの町・デュッセルドルフ生まれで、ボン大学で博士号を取得、1955年からフランクフルト研究所で助手となり、アドルノとホルクハイマーの影響をたっぷりと受けました。それだけに彼の学問にはリベラル化したマルクス主義の低温が残っているように感じられます。

 彼を一躍有名にしたのは1982年の『公共性の構造転換』でした。彼は18世紀の啓蒙主義時代には芸術や文学ではサロンが、続いて19世紀の自由主義時代には自由に論議をする場としての公共圏が成立していましたが、それが現代においては委縮してしまったたプロセスを明らかにしています。

 こうした(構造転換)の理由として、彼はますず第一に19世紀末からの後期資本主義社会への変化をあげ、それが世論の脱政治化をもたらしたと説きました。そしてその原因は、第一に、経済体制の安定成長を確保するために国家の干渉が増したこと、第二に、研究と技術と国家行政の相互依存が深まっていったこととします。マルクス主義者流にいえば、現代の独占資本主義が国家独占資本主義化したと言いたいのです。

 このペースの上に彼は真の民主主義を再建しようと試みます。人々の日常生活の社会的かつ文化的な内容は、言葉などを仲介とした人々の相互作用と不可分な関係にあるとし、そのうえでコミュニケーションを考えるのですが、それは単なる平等な立場に立った会話ではなく、その背後には社会が規定する規範があり、この規範の構造を明らかにするすることなくコミュニケーションを論ずることはできないとし、現代ではこの規範のあり方によってコミュニケーションが体系的にゆがめられていると説きます。そして、この歪められたコミュニケーションを正すためには理性が必要であるとし、近代的理性肯定します。さらに、それまで痛烈に批判してきた理性と、それによる規範をとらえかえし、自由と公正が真理と無関係ではありえないことから、真理を求める理性の深化と規範性の拡大を求めよようとするのでした。

 ハーバーマスの学問は近代理性との格闘でありました。彼は、フランクフルト学派における理性が意識の問題であったのに対し、コミュニケーションの構造であるとし、解放の道をさし示すのであります。