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気付かれぬ優しさは純粋な優しさコミュの おそらく一番長く付き合ったカノジョはアッキーこと森明子だったかな。  コールセンター勤務時代にこちらにアタックしてきた女性はたぶん8人。別にこちらはとくにイケメンでもないのに、そうだったのは、女性だらけで、独身の男性が私ひとりだけだったからです。地方から東京の女子大や企業に入ってきた者がほとんどで、仲良くなって話題が出身地のことに及ぶと、「私より私の地元のことを知っている!」と目を丸くされました。彼女たちはそれで自分の全存在を肯定され、包まれたような気分になって、好意以上の感情を持ってくれたのでした。  そんなわけでねんごろになったのは5人。カノジョにまでなったのは金子摩吏子とアッキー(森明子)の二人でした。  彼女は中野区野方に生まれた時からずっと住 んでいました。引っ越し経験は一度もない、と言っていました。彼女は当時40歳近くて、すでに定年となっていた両親と祖母との四人暮らし。姉がいますが、結婚して旦那さんと別の所に住んでいたそうです。 「私もとうとう叔母さんと呼ばれるようになったんです」と、にっこり。 「え?」 「姉に赤ちゃんが産まれたんです。だから」  最初にアッキーを知ったのは勤めていたコールセンターにパートタイマーとして勤務してのことです。認識した時にはアッキーはすでに電話応対係から昇格していて、彼らヒラのバイト君たちを現場監督するSV(スーパーバイザー)でした。後輩バイト君たちへの接し方からして、人柄もすこぶる良いのがうかがい知れました。  ただ化粧っ気はまったくなく、地味なふだん着でしたけれど、その美しさは際立っていました。おそらく私の在社中でも、もっとも美しい女性だったかと思われます。竹内まりやと新垣結衣の良いところを寄せ集めたようでした。  しかし、同じパートタイマーの木村クンのカノジョであることを知っていたので、それ以上の興味は湧きませんでした。なにしろアッキーは出社してきてメガネをかけて座っている木村クンを見つけるとすっ飛んでいって机の間仕切りにもたれかかりながら顔を近づけて話し込んでいたのですから。  その夜の仕事が終わると二人は木村クンがどこかに停めておいた車で深夜の街へ消えていきました。  木村クンはかなりのイケメンでした。國學院大學を卒業後、東大医学部の大学院にもぐり込み、その学歴を活かしてどこかの病院の事務員だったというのに、なぜコールセンターで掛け持ちのバイトをするようになったのか、その時はまだ訳が分からずにいました。  木村クンの女癖の悪さがやがて伝わってきました。それはアッキーという存在があるのに、コールセンターの女の子を何人も自分のマンションに引っ張り込んでいる、というものです。  同居している彼の従妹も、 「おニイちゃんはまた違う女の人を連れて来て」と。  森さん(アッキー)も可哀そうになあ、と思った次第です。  やがて木村クンはコールセンターを去ってゆきました。アッキーを残したまま。  その当時、私は女のバイトさん達に出張先で購入した東京では見かけない地方のお菓子や、おそらく東京でいちばん美味しいパティスリー・カー・ヴァンソンのチョコレートをあげたりしていました。金子摩吏子とは別れてフリーの身でしたが、別に下ごころはとくにありませんでした。ただ女の子たちの喜ぶ顔が見たかっただけなのです。  するとアッキーが立ち上がって、「私、こういうの好き! レストランとかに行くのも好きなんです!」  なんのためらいもあるものですか。アッキーは木村クンに捨てられてフリー。こちらも摩吏子と別れていてフリー。 「お酒は?」 「若い時はもう底なし。でも今はふつうかな」  たしかにどれだけワインを呑んでもアッキーはまったく乱れませんでした。こちらと互角以上の女性は後にも先にもアッキーだけ、いや、唯美もそれに近かったかな?  そしてアッキーは無趣味。たぶん家族の脚がわりに車の運転をするぐらいしか何もすることはなかったんじゃなかったのかな。家事は苦手なのでまったくのノータッチだったそうです。  昼間は当時の住友商事でパートタイマーをしながら、午後は我がコールセンターに目いっぱいのスケジュールを組んでいました。 「別にお金が欲しいんじゃないの。他にすることがないし、ああして人と一緒に働くのが好きだから」  腕の中でこちらを見上げながらそう告白していました。  それからずいぶんと色々なフランス料理、イタリア料理、中華料理のお店を一緒に巡ったのは、今までにもここに掲載してきました。  そして初のデートについてや、最後に出会ったときのことは以前にも書きました。気が向いたらまた掲載いたします。  歴代5人のカノジョたちは、こちらが別に面食いではないのに、たまたま美女揃い。でも人柄はこのアッキーが一番だったかな。口数が少なくて刺激はなかったけれど。  アッキーとのデートの最中にも、こちらかに水を向けても、あまり話がはずまなくなってきました。  誘いをかけても、 「ここのところ、用事が立て込んでいるので…」 「……」  ふーん。そうか。  コールセンターでの私の配属も研修課となり、それが現場とは違うフロアだったので、アッキーと社内で顔を合わせることもなくなり、二人の間はどんどん疎遠になってゆきました。  メールでのやりとりもぱったりと途絶えるように。  おそらく、コールセンターを去って行った木村クンからよりを戻そうよという声がかかってきたのでしょう。事務職として勤めていた病院ではコールセンターのように女性もそう多くはないだろうし、看護師さんたちに手を出すのは、そうそう気ままにはできなかったろうし。  トラウマに悩まされるほど木村クンに未練があったアッキー。もう、我が腕に戻ってくることはないだろうな、と諦めました。  この店の荻窪店でひとりで呑んでいました↓ https://www.chimney.co.jp/eatery/brand.html?brand_code=hana  するとこちらに声をかけてきたのは三人の女性。コールセンターのパートマイマーの前田ゆかりでした。私にコナをかけて来た一人。性格は悪くはないんだけれど。  見やると、同じくバイトしていたアマチュアのアラブ研究家の森本詩子。  …そしてもう一人は、……なにかもの言いたげな顔のアッキー。  アッキーとのことは、木村クンのカノジョだったことは誰もが知っていたので、僕とのことは誰にも内緒にしていました。  前田ゆかりとひとことふたこと。 「じゃ、失礼しまっすー♪」  アッキーは名残惜しそうに、こちらをふり返りふりかえりしながら小さくなってゆきました。  それが最後でした。

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 おそらく一番長く付き合ったカノジョはアッキーこと森明子だったかな。

 コールセンター勤務時代にこちらにアタックしてきた女性はたぶん8人。別にこちらはとくにイケメンでもないのに、そうだったのは、女性だらけで、独身の男性が私ひとりだけだったからです。地方から東京の女子大や企業に入ってきた者がほとんどで、仲良くなって話題が出身地のことに及ぶと、「私より私の地元のことを知っている!」と目を丸くされました。彼女たちはそれで自分の全存在を肯定され、包まれたような気分になって、好意以上の感情を持ってくれたのでした。
 そんなわけでねんごろになったのは5人。カノジョにまでなったのは金子摩吏子とアッキー(森明子)の二人でした。

 彼女は中野区野方に生まれた時からずっと住
んでいました。引っ越し経験は一度もない、と言っていました。彼女は当時40歳近くて、すでに定年となっていた両親と祖母との四人暮らし。姉がいますが、結婚して旦那さんと別の所に住んでいたそうです。
「私もとうとう叔母さんと呼ばれるようになったんです」と、にっこり。
「え?」
「姉に赤ちゃんが産まれたんです。だから」

 最初にアッキーを知ったのは勤めていたコールセンターにパートタイマーとして勤務してのことです。認識した時にはアッキーはすでに電話応対係から昇格していて、彼らヒラのバイト君たちを現場監督するSV(スーパーバイザー)でした。後輩バイト君たちへの接し方からして、人柄もすこぶる良いのがうかがい知れました。
 ただ化粧っ気はまったくなく、地味なふだん着でしたけれど、その美しさは際立っていました。おそらく私の在社中でも、もっとも美しい女性だったかと思われます。竹内まりやと新垣結衣の良いところを寄せ集めたようでした。
 しかし、同じパートタイマーの木村クンのカノジョであることを知っていたので、それ以上の興味は湧きませんでした。なにしろアッキーは出社してきてメガネをかけて座っている木村クンを見つけるとすっ飛んでいって机の間仕切りにもたれかかりながら顔を近づけて話し込んでいたのですから。
 その夜の仕事が終わると二人は木村クンがどこかに停めておいた車で深夜の街へ消えていきました。

 木村クンはかなりのイケメンでした。國學院大學を卒業後、東大医学部の大学院にもぐり込み、その学歴を活かしてどこかの病院の事務員だったというのに、なぜコールセンターで掛け持ちのバイトをするようになったのか、その時はまだ訳が分からずにいました。

 木村クンの女癖の悪さがやがて伝わってきました。それはアッキーという存在があるのに、コールセンターの女の子を何人も自分のマンションに引っ張り込んでいる、というものです。
 同居している彼の従妹も、
「おニイちゃんはまた違う女の人を連れて来て」と。
 森さん(アッキー)も可哀そうになあ、と思った次第です。

 やがて木村クンはコールセンターを去ってゆきました。アッキーを残したまま。

 その当時、私は女のバイトさん達に出張先で購入した東京では見かけない地方のお菓子や、おそらく東京でいちばん美味しいパティスリー・カー・ヴァンソンのチョコレートをあげたりしていました。金子摩吏子とは別れてフリーの身でしたが、別に下ごころはとくにありませんでした。ただ女の子たちの喜ぶ顔が見たかっただけなのです。

 するとアッキーが立ち上がって、「私、こういうの好き! レストランとかに行くのも好きなんです!」
 なんのためらいもあるものですか。アッキーは木村クンに捨てられてフリー。こちらも摩吏子と別れていてフリー。

「お酒は?」
「若い時はもう底なし。でも今はふつうかな」

 たしかにどれだけワインを呑んでもアッキーはまったく乱れませんでした。こちらと互角以上の女性は後にも先にもアッキーだけ、いや、唯美もそれに近かったかな?

 そしてアッキーは無趣味。たぶん家族の脚がわりに車の運転をするぐらいしか何もすることはなかったんじゃなかったのかな。家事は苦手なのでまったくのノータッチだったそうです。

 昼間は当時の住友商事でパートタイマーをしながら、午後は我がコールセンターに目いっぱいのスケジュールを組んでいました。
「別にお金が欲しいんじゃないの。他にすることがないし、ああして人と一緒に働くのが好きだから」
 腕の中でこちらを見上げながらそう告白していました。

 それからずいぶんと色々なフランス料理、イタリア料理、中華料理のお店を一緒に巡ったのは、今までにもここに掲載してきました。

 そして初のデートについてや、最後に出会ったときのことは以前にも書きました。気が向いたらまた掲載いたします。

 歴代5人のカノジョたちは、こちらが別に面食いではないのに、たまたま美女揃い。でも人柄はこのアッキーが一番だったかな。口数が少なくて刺激はなかったけれど。


 アッキーとのデートの最中にも、こちらかに水を向けても、あまり話がはずまなくなってきました。

 誘いをかけても、
「ここのところ、用事が立て込んでいるので…」
「……」

 ふーん。そうか。

 コールセンターでの私の配属も研修課となり、それが現場とは違うフロアだったので、アッキーと社内で顔を合わせることもなくなり、二人の間はどんどん疎遠になってゆきました。
 メールでのやりとりもぱったりと途絶えるように。

 おそらく、コールセンターを去って行った木村クンからよりを戻そうよという声がかかってきたのでしょう。事務職として勤めていた病院ではコールセンターのように女性もそう多くはないだろうし、看護師さんたちに手を出すのは、そうそう気ままにはできなかったろうし。

 トラウマに悩まされるほど木村クンに未練があったアッキー。もう、我が腕に戻ってくることはないだろうな、と諦めました。

 この店の荻窪店でひとりで呑んでいました↓
https://www.chimney.co.jp/eatery/brand.html?brand_code=hana

 するとこちらに声をかけてきたのは三人の女性。コールセンターのパートマイマーの前田ゆかりでした。私にコナをかけて来た一人。性格は悪くはないんだけれど。
 見やると、同じくバイトしていたアマチュアのアラブ研究家の森本詩子。
 …そしてもう一人は、……なにかもの言いたげな顔のアッキー。

 アッキーとのことは、木村クンのカノジョだったことは誰もが知っていたので、僕とのことは誰にも内緒にしていました。

 前田ゆかりとひとことふたこと。

「じゃ、失礼しまっすー♪」

 アッキーは名残惜しそうに、こちらをふり返りふりかえりしながら小さくなってゆきました。

 それが最後でした。