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島田洋七(B&B)

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詳細 2019年5月1日 07:00更新

■島田洋七:本名徳永昭廣

■1950年2月10日生 広島県出身。

■1970年に島田洋之助に弟子入り
※島田洋之助師匠の妻は今日喜多代。(今いくよ、くるよの師匠でもある)
※島田紳助はB&Bの隆盛を見て同じ門下へ入門

※洋七氏は入門時に既に既婚者で実は駆け落ちだったそうです(嗚呼激しい青春!)

■ヤングoh!oh!等の番組で若手落語家で構成された“ざ・ぱんだ”の後を受けて、若手芸人中心に活躍の場を与えられていた。この中のメンバーで様々にコンビを組んでは別れてを皆が繰り返していた(西川のりお、ぼんちおさむ等)

しかし関西の芸人の中ではこれは極めて一般的な事だそうで、この辺は活発に皆やってる事だそうです。後のNSCの“天然素材”等も同様です。

■1975年入門の島田洋八と組んで洋七氏いわく『コンビ替えする中で一番売れへんコンビやと思った』との杞憂もつかの間
1980に大爆発となりMANZAIブームの“象徴”でした。

■『お笑いスター誕生』では初代グランプリ受賞者(10週勝ち抜き)でしたが、これは番組スタート時の目玉として(殆ど仕込み)当時売り出し寸前で圧倒的にパッケージレベルの高いB&Bを吉本に要請をして参加させたものだった、しかしこれはB&Bの関西以外での“全国区”人気爆発の切っ掛けともなりました。

以下は概ね下記のサイトを参照
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/starlist/starhi.html

■洋七氏の芸風は実は笑福亭仁鶴の芸風を漫才に置き換えたもの。
いまだに本人も仁鶴師匠にサインをもらうくらいのファンです。

■速度を早くして密度を上げること(紳助曰く16ビート)で客の笑いが終わらないうちにまた笑わせる“ターボ”をかけるという。この技を駆使していました。

■当時どう考えても、いまひとつであったツービートはB&Bの掛け合いの速度を取り入れてから成功した(本人から聞きました)その為に洋七氏へ今も最大の尊敬の態度を隠しません。

“漫才ブームじゃない。俺たちがブームなんだ”のビートたけしの言葉が物語るように、全ての起爆剤はB&Bにあったと言ってもよいでしょう。天の才だけで泳ぎ切るタイプの方と思います。殿はセンスに加えて完全に地道な積み重ねのあった叩き上げタイプであったと思います。(もとよりセンスが無けりゃ積み重ねてもムダです)

■北野ファンクラブで“B&ビート”を演った時に余りかみ合わないビートたけしに皆驚いたと思います。しかしこれこそが関西の典型的なしゃべくり漫才と比べてツービートがきよしとたけしのみが織り成す事が可能な全く独特な世界と存在であった証と思います。

《有名な言葉》

『もみじまんじゅう〜』
『メチャメチャ陰気やで〜』
『ひっろしまぁ!』


それにしてもMANZAIブーム当時B&Bは20代半ば、現在の『エンタメ』の出演者と比べると尚更B&Bの凄さを感じて仕方がありません。なんでしょう?客に媚びてませんかね?今のお笑いは。

■関連サイト

1.We Love がばいばぁちゃん
http://mixi.jp/view_community.pl?id=884438

2.「佐賀のがばいばぁちゃん」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=807781

3.【映画】佐賀のがばいばあちゃん
http://mixi.jp/view_community.pl?id=753973

4.佐賀のがばいばあちゃん
http://mixi.jp/view_community.pl?id=179716




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カテゴリ
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