とうとう私の魂は耐えかねてこう叫んだ:
「何処でもいい、何処でもいいんだ、この世の外でありさえすれば!」
(Beaudelaire“Anywhere out of the world”より拙訳)
このボードレール(の魂)の叫びに共感する人は多いと思います。ここで「この世」と訳したのは、ほかでもない俗世、世俗社会であり、それゆえ「この世の外」とは「あの世」、彼岸、他界、常世、異界、その他、宗教や芸術が求めてきた理想の世界を指すと考えます。
「この世の外」という表現は空間的な表象であり、どこかの場所を示しているように見えます。しかし、これは(ある意味仕方がないと言え)正確ではありません。ボクの考えでは、「この世」とは時間と空間という二つの軸によって秩序づけられた日常世界(特に西洋近代世界がその代表ですが)のことであり、「この世の外」とはそのような時間と空間の枠に捉えられない「世界」ということになります。
さらに、この「世界」を経験するということは、日常世界を超えた力(エネルギー)に触れて、それを受け入れ、さらには一体化するプロセスでもあるということです。神とか仏といった超越的存在は、このような力の源として想定されたものであり、そうした力を体現した人が聖(ひじり)、聖者、覚者、神秘家などと呼ばれてきたわけです。以上は、いわゆる「精神世界」というものに対するボクの理解でもあります。
とは言っても、肉体をもち自己意識をもった個体としての私たちは、なんらかの形象・表象によらずにはものを考え、行動することができません。そのためのよすがとして(実は個人的な好みですが)、日本の古代・中世のおもに宗教・文学を手がかりにしたいと思います。ぶっちゃけて言えば、空間軸のうえでは日本・自然、時間軸のうえでは古代・中世に焦点をおいて精神世界を探求しようということで「日本的霊性」と名づけました。関西に居るという地の利を活かして、昔の人々や歴史を秘めた土地や建物と交感しつつ、楽しみながら精神世界を探求していきたいと思っています。そのなかで、この現代社会で生きるとはどういうことか、どのように生きていけばよいのか、といった現実的なことも考えていければという期待ももっています。
ボク自身、探求途上の中途半端な者ですので、以上に述べたボクのスタンスはあまり気にせずに、硬軟・軽重を問わず広く参加して頂ければと思います。違った視点からの指摘など、いろいろと教えて頂けることも期待しています。
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以上、何卒よろしくお願いいたします。