フランス人科学者ラグランジュの言葉
「彼の頭を打ちおとすのにほんの一瞬しかかからなかったが、これと同じ頭をもう一つつくりだすには百年かけても十分ではなかろう」
近代科学の父と呼ばれたラボアジエの稀有な頭脳が無残にも恐怖政治の犠牲になったことは、ヨーロッパ上の知識人を愕然とさせた。これは同時代のフランス人科学者ラグランジュが彼のあまりにも早すぎる死を悲しんで追悼した言葉である。彼は科学者として極めて優秀だったが、徴税請負人だったため、科学者としての功績など考慮されず処刑たのである。
父はパリの裁判所の検事。法律を学び1764年区裁判所の弁護士になる。この間趣味として科学を学び、四年間、喜望峰に滞在して天文学の研究をしたり、数学、植物学、鉱物学、地質学、化学などを広範囲に学んだ。1766年、22歳の時、アカデミーの懸賞問題であった「都市の夜間照明について」ので優れた報告を行い、国王から金メダルを受けた。
1786年、科学アカデミー会員に推され、以後は研究に専念した。また、財産上の処理として徴税組合員となったが、後にこれが災いする。
フランス革命が起こると、革命政府のもとで新度量衡法設立委員会の主な委員となり、メートル法の確立に力を注ぎ、また、アッシニア紙幣が容易に偽造できないよう、政府は彼の助力を求め、財務委員会委員などに選出され、科学以外の面でも活躍した。
1794年、革命政府が旧政府の徴税組合員であった者を弾圧し始めると、彼もその前歴を問われ、自首したにもかかわらず、また友人達の救命運動も空しく、他の27人の徴税組合員と共にギロチンで処刑された。その時の裁判官は、「共和国は科学者を必要としない」と言い放った。
しかし、その後元素の定義、化学命名法、質量作用の法則などを含む彼の新理論は全世界に受け入れられた。
処刑前、ラボアジエは今やりかけている実験の結果が出るまで、2週間だけ刑の執行を猶予してくれ、と請願したが、それも無視されたという。
こういう人たちの命がけの才能と努力の上に現代の高度に発達した科学技術があることを忘れてはならないと思う。
キーワード
フランス革命、ラヴォアジエ、ギロチン、粛清、元素記号、メートル法