Jean Fautrier / ジャン・フォートリエ 1898-1964
1909年に11才でフランスからイギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入学するが、中退。1917年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入学するが中退。1917年に第一次世界大戦に従軍し、終戦を機に20年パリに戻る。実写的な絵を描いていたが、1928年から抽象的な作風に転じる。第二次世界大戦中は対独抵抗運動に参加し、ドイツ占領下のパリで1940年に〈人質〉の連作を制作する。念入りに厚く塗り重ねた絵の具の物質感と淡い色彩によって、既製の形に頼らず、非定形な形態の中から絵画のマチエールの自発的な働きを引き出すようなその作品群によって、1950年代の戦後ヨーロッパの抽象絵画の源流の一つ「アンフォルメル」の先駆者と見なされた。同時期のアメリカの抽象表現主義に与えた影響も少ない。
フォートリエの絵画の制作過程は独特であった。キャンバスの上に紙を貼り重ね、その上に石膏や絵の具で分厚く凹凸のある下地を作る。その上に水彩やインクなどの淡い絵の具でイメージを描き、その上にパレット・ナイフなどで絵の具を厚く、まるでレリーフのようになるまで塗り重ねる。そしてさらにその上にパステルで着色される。
このような絵画の制作過程にも表れているように、フォートリエの制作には厚塗りのマチエールだけではなく、淡い筆触を持つ描写が重要な役割をはたしている。〈むらさき色の顔〉では、アクアチントの持ち味である微妙でにじむような濃淡を生かして、フォートリエの繊細な側面が端的に表現されている。
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