太平洋戦争の当時、マスコミが戦争を煽り日本国民を破滅の道へ導
いたというのは周知の事実である。
そういう暗黒の歴史があるにもかかわらず、東京裁判で裁かれる
ことのなかったマスコミは、そういう薄汚い行為を一切、反省し
ていないようだ。
なぜ、そういうことが言えるのか?
今の今、進行中のふたつの戦争状態に関与するマスコミの姿勢、
態度を観察すればそのことがよく理解できるだろう。
その戦争とは、ひとつが今さら説明の必要も無い「コロナ戦争」。
そして、もうひとつが、ついに勃発した「ウクライナとロシアの
戦争」である。
これらふたつの戦争において、マスコミが報道するすべてのこと
は、ある一点をしか目指していない。
それは「戦争の煽り」を目的としているだけなのである。
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しかしそんなことは、全マスコミを支配する究極の命題「視聴者
を楽しませなければ意味がない」ということの必然的帰結である
と言ってしまえばそれまでだ。もちろん、そのことで自分がアン
チ・マスコミの反旗を翻しているわけでは毛頭ない。
自分がマスコミを全面的に肯定し難いものと考えるのは別の理由
からなのだ。
それは、煽るだけ煽ってどうしようもない事態となったときに、
それを収束させる契機にすらなれないという無能さ、無責任さ、
そしておのれらの仕業が所詮は上っ面だけのことでしかないのに
そのために命を懸けた者を報道するという安易な作業だけで、す
べての手柄を攫おうとする奇妙なほどの変わり身の早さである。
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「アンチ・コロナワクチン」のコミュニティですでに解説したと
おり、現在のマスコミの共通した態度は、ワクチンという武器を
用いてコロナ戦争を継続するということである。
この基本的な態度を「脳機能的」に説明するならば、コロナ戦争
遂行用の≪ハードウェア≫及びアルゴリズムが脳のベースとなり、
「理性的プログラム」ないし「感情的プログラム」によるプログ
ラミング言語が、外部のあらゆる対象について優劣、善悪、美醜
正邪等の概念を与えることで視聴者の興味を喚起する。というこ
とになろうか。
つまり、視聴者はその対立構造の面白さだけに囚われ、それが、
どういう特殊なベース(ハードウェアおよびアルゴリズム)で語
られているのかということには関心を持たないのである。
コロナ戦争の状況は、まさにそのとおりに進行していて、人々は
ワクチン争奪の行方、ワクチン供給の正しさと間違い、誰が悪人
で誰が善人か、などという対立構造へだけ心が奪われている。
そして、もはやワクチンそのものの(コロナ戦争を泥沼化させる)
重大なリスクのことや、自分自身の身体への看過し難い事象につ
いては完全に視界を喪失しているのだ。
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上記の事態に果たしているマスコミの役割は、もはや説明の要も
ないだろう。
毎日毎日、視聴者受けしそうなコメンテーターにしゃべらせるの
は、コロナ戦争の煽り=ワクチン賛歌ばかりだ。
実は、これらのこととまったく同じことが、ウクライナ対ロシア
戦争についても喧伝、煽動されているである。
戦争を煽っているとしか思えない報道が、46時中、テレビやネ
ットを通じて流されている。
面白おかしく、視聴者の興味を惹くように・・・・・・。
そこには事態を収束させようという身体的心的意識的倫理的道徳
的な配慮などどこにも無く、ただただ、対立する者同士のスリリ
ングな展開を、古代のコロッセオで殺し合いを楽しむ観客のよう
な精神状態に(視聴者を)メディアというフィルターを通して、
させながら「経済を回している」と豪語する存在・・・それが
マスコミなのである。