浪人生、留年生にありがちな半思考停止ぎみの不気味なまでの自己肯定論を正面から批判する。
浪人生、留年生は、まず気付くべきである。
「お、おれって、普通じゃないのかなあ?」
当然である。普通は浪人も留年もしないのだから。
そして次により厳しい知覚段階に移行すべきである。
「おれはゴミだ。」
その通り。
浪人生=留年生=ゴミなのである。
ここでいうゴミとは秩序ある「社会」を維持するために必要な資質を欠く、すなわち「社会」不適合者のことであり、当然ながら、いわゆる普通の「社会」適合者に比して、何らかの損失を背負ったもののことである。では、その損失とは何であろうか?
地位? 名誉? 金? 多分全部であろう。
しかし、そもそも「社会」って何だろう?
地位、名誉、金、それって僕らにとってどういう意味を持つのだろう?
これらの問題は、僕ら浪人生、留年生にとって切実かつリアルであるがゆえ、思考する機会、動機、判断材料、全てにおいて現役生よりも恵まれている、というのが浪人生、留年生の確実に持ち得る数少ない優位性と言えるのではないか。