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ヨゼフ・レヴィーン

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詳細 2021年2月9日 00:11更新

ヨゼフ・レヴィーン

のコミュです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨゼフ・レヴィーン  より  

ヨーゼフ(またはジョゼフ、ジョセフ)・レヴィーン(またはレヴィン)(Josef Lhévinne, 1874年12月13日 - 1944年12月2日)は ユダヤ系ロシア人ピアニスト・ピアノ教授。ロシア語名ヨシフ・アルカディエヴィチ・レヴィン(Ио́сиф Арка́дьевич Ле́вин)。
ウクライナの音楽家の家庭に生まれ、モスクワ音楽院でワシーリー・サフォーノフに師事。14歳でベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第5番<皇帝>》を演奏して、公開デビューを果たす。その時の指揮者は、レヴィーンが崇拝してやまないアントン・ルビンシテインであった。1892年にモスクワ音楽院ピアノ科を、同級生にアレクサンドル・スクリャービンとセルゲイ・ラフマニノフがいる中、大金メダルを得て卒業。
1898年に同窓生ロジーナ・ベッシーと結婚。ロジーナ自身も卒業時に大金メダルを受賞したピアニストで、結婚後はヨゼフが他界するまで、夫妻でともに演奏会を行なった。反ユダヤ主義の風潮や、ロシア革命の最初の徴候に直面すると、レヴィン夫妻は1907年にベルリンに移り、同地でヨゼフ・レヴィーンは、当時の主要な名ピアニストの一人にして、主要なピアノ教師の一人と評価された。第一次世界大戦勃発により、レヴィン夫妻は敵性外国人としてベルリンで幽閉され、1917年のロシア革命では、ロシアの銀行に残してきた預貯金を失い、しかも戦争のために演奏会を開くこともできず、数年にわたって、一握りの生徒から得られる謝礼金で糊口をしのがねばならないほど困窮した。
レヴィーン夫妻は、ついに解放されると、1919年にニューヨーク・シティを目指してドイツを去り、ジュリアード音楽学校でピアノ教育のかたわら、演奏活動を追究した。ヨゼフ・レヴィーンは、同時代のすべての名ピアニストから、究極の技巧家と看做されたにもかかわらず、世間一般に対して成功したピアニストであったとはとてもいえない。おそらくは、演奏よりは教育を楽しむようになっていたからだろう。演奏活動と指導の日々は、1944年、70歳の誕生日を目前に、心臓発作から急死するまで続けられた。
レヴィーンは1924年に、小著『ピアノ奏法の基礎原理(Basic Principles in Pianoforte Playing)』を執筆、これは古典的な教本と見なされている。
ヨゼフ・レヴィーンは、ごくわずかなアコースティック録音を残したにすぎないが、それらは、技術的な完璧さと音楽の優雅さの、まさに息を飲むような実例となっている。ショパンの《練習曲》作品25の数曲や、アドルフ・シュルツ=エヴラー編曲によるヨハン・シュトラウス2世の《美しき青きドナウ》は、ピアニストや通の間で伝説的演奏として語り継がれてきた。辛口の音楽評論家ハロルド・C・ショーンバーグによると、レヴィーンの「音色は、いわば唱和する明けの明星である。演奏技巧は、ヨゼフ・ホフマンやラフマニノフの指に照らしてみても遜色なく、音楽性は繊細そのものであった。」

***

«the morning stars singing together» ― Harold C. Schonberg. The Great Pianists from Mozart to the Present.
Great Pianists
http://www.amazon.co.jp/Great-Pianists-Harold-C-Schonberg/dp/0671638378/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1337658315&sr=1-1


レヴィーンの演奏は僅かな録音が遺されているだけですが、ヨハン・シュトラウス作曲/シュルツ・エーヴラー編の『美しき蒼きドナウ』の完全版に至ってはあまりの素晴らしさに涙が出て来る程です。彼の技術は高すぎて参考にするとか真似するということの想像がつかない。

モスクワ音楽院ではラフマニノフとスクリャービンの一年後輩であり、僅かな録音の中に両者の曲が含まれている。自作自演と聞き比べてみると、それぞれの独特の味わいは別として技巧の点では、両者を遥かに凌駕している。特には同じサフォ−ノフのクラスにいたスクリャービンにとっては脅威でありつづけた。たとえスクリャービンが「銀の時代の化身」「ロシアのショパン」であろいとも。レヴィーンは幼少時代から何度か皇帝の御前演奏の栄誉の機会を持っていた。スクリャービンが御前演奏の依頼を頑に固辞していたのはひょっとしたらレヴィーンを意識してのこともあったのかもしれない。

ロシアの「銀の時代」の黄昏に現れたこの奇跡のピアノ奏者についての情報(CD・著作・人間関係・蘊蓄)を蒐集して共有したい方、遥かな高みを目指して修練に励みたいプロ・アマチュアのピアノ奏者の方 etc. ご参加をお待ち致します。

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2012年5月22日

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