八王子の俺らの希望!!!
平松翔のコミュニティです。
生年月日:1987年5月20日
【経歴】
すみれ幼稚園
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八王子市立加住小学校
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八王子市立加住中学校
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東海大学菅生高校
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浜松大学
【平松翔のこれまで】
平松翔をサッカー無しでは語れない。
サッカーがあるから、平松翔がある。
八王子市の加住地区に生まれ育った平松翔は気付けばボールを蹴っていた。キャプテン翼とは少し違う気がするが、物心がつくころにはボールを蹴り、「サッカーでは誰にも負けたくない」そう思うようになるには、時間はかからなかった。
彼が頭角をあらわしてきたのは、小学5年生の頃。非凡なサッカーセンスで同年代を引き付けないボールコントロール、ボール奪取力は群を抜いていた。
八王子選抜、12ブロック選抜、地域トレセン、東京トレセンへ。
それと同時に地域の少子化の影響によって出来たクラブチームで、現水戸ホーリーホックの常盤聡と出会い、同じチームメイトとしてライバルとして、さらにテクニックを磨き上げていった。
彼が当時、得意としていたプレーは相手を引き付けてのスールーパス、2人3人抜いてからのフィニッシュ、さらには高確率のヒールリフトだった。八王子選抜クラスのスイーパーをヒールリフトで置き去りにしたことは、同チームメイトの目には今でも焼きついている。
そして中学は地域のクラブチームに進み、現名古屋グランパスエイトの新井辰也とチームメイトになる。翔が攻めて、辰也が守る。この形で東京都の新人戦では東京ヴェルディに負けはしたが、2位に入賞。
高校は東京都あきる野市にある東海大学菅生に進学し、三年間フィジカルを強化し、テクニックに強さが加わり、三年時には10番をつけて部員100名の青春を背負った。全国出場は叶わなかったが、全国に通用する選手であることは間違いなかった。
その後は浜松大学へ進学。
そこでは選手権、インターハイに出場経験のあるチームメイトばかりの環境だったが、「サッカーが好きだ。サッカーでは負けたくない」という気持ちは、どのチームメイトにも負けず、もとあるセンスに努力が加わり、テクニックで勝負する選手から、戦える選手に変わっていった。チームメイトにも恵まれ、浜松大学が設ける社会人チームで、東海リーグで成績を収め、JFL参入戦で元日本代表の松田直樹が移籍した松本山雅FCに大敗し、最前線でのプレーに終止符を打った。
今は仕事をする傍ら、青梅市がバックアップする青梅FCでプレーしている。
また休日は地元の友人とフットサルを楽しんだり、杯を交わしている。
NO FUTBALL NO LIFE・・・・
今後も彼のサッカー人生は終わらない。