■80s90s Digital Dancehall Digital Roots
のコミュニティー
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1984年に発表されたホレス・ファーガソン「センシ・アディクト (Sensi Addict)」やシュガー・マイノット「ハーブマン・ハスリング (Herbman Hustling)」などの楽曲は完全にデジタル楽器によって伴奏されていた。
翌1985年にキング・ジャミーがプロデュースしたウェイン・スミスの「アンダー・ミ・スレン・テン (Under Mi Sleng Teng)」はカシオトーンMT-40に出荷時から組み込まれていたドラムパターンで簡単に製作されたにも関わらず大きなヒットとなった。そのため、キング・タビーもすぐに打ち込みの技法を取り入れ「テンポ (Tempo)」リディムを制作しジャミーズに対抗した。これ以後、ダンスホールレゲエは急速にドラムマシンやシンセサイザーを取り入れ、エレクトリック・ミュージック化していった。この音楽的革新は「コンピュータライズド」や、「コンピューター・リディム」などと呼ばれた。ダンスホールレゲエは、ドラムマシンの導入と聴衆のニーズにこたえる形で曲のテンポも徐々に上昇し、それまでのレゲエとは全く異なる音楽と進化していった。