神港学園高から京都産業大を経て、1993年パシフィック・リーグの関西審判部に入局。
審判員袖番号は30。
2008年シーズン終了時までに通算819試合に出場。
英語力はネイティブレベルの唯一の審判。
学生時代にはオリックスで通訳のアルバイトをしていた。
タフィ・ローズが英語で判定への不満を口にしたときには退場を命じている(ローズは「あの審判は英語を話せるのを忘れていた」と語った)。
オールスターに2回(2001年と2004年)、プレーオフ、クライマックスシリーズには4年連続4回出場(毎年球審を務める)している。
そして2008年、初の日本シリーズ出場を果たす。第2戦で球審を務める。
日本プロ野球選手会が行った、選手を対象としたアンケート「選手が選ぶ! ベストアンパイア2008」パ・リーグ部門において選ばれるほど、選手からの信頼度は年々増している。
2009年、千葉ロッテ対埼玉西武の開幕戦では球審を務めた。
また、この年、2年連続で日本シリーズ出場を果たしている。