普遍的とゆうこと以外は遍在groupsoundsに定義はない。
我々は何も求めないから我々から何も奪うな。
ユーツベ 樹海 http://
ユーツベ 懇願 http://
マイスペ http://
サウンドクラウド http://
ブログ http://
求む
生きている事に疑問をもつ人
存在の証明が出来ないと嘆いてる人
遍在groupsoundsの音が好きな人
まだ脈のある死にたがりな人
もう脈のない生きたがりな人
dopeな人
ファンクな人
ジャズな人
シャブな人
サグな人
ケミカルムトウルな人
長崎の端の端の軍艦島の見える街に住んでる人
棲んでる人
jahな人
エレクトロニクカな人
90sHip Hopな人
ロックな人
ボサノバな人
ラテンな人
よつうちな人
むちうちな人
ジャンルレスに深い音楽が好きな人
リアルヒップホップな人
精神的ホームレスな人
420な人
病気の人
依存性の奴隷な人
売る人
買う人
神を信じる人
神を信じない人
遍在groupsoundsは
一つの概念であり
思想であり
dopeオーガニックなサブカルであり
宗教だ
Henzaizm
遍在groupsoundsの概念
万物に善悪の定義は存在しない
存在するものは皆存在し続ける事を目的とされており
それらの存在が自ら強く願って存在し続けることを求めているわけではない
つまりそれはそうゆうプログラムだ。
我々が言う善悪とは生命が存在を維持するにあたりそれを阻害するものは悪、有益なものが善
なのである。善は決して善ではない、ただの利益だ。悪は決して悪ではない、ただの損害だ。
つまり利益と不利益、+と−の概念を持ち、尚且つ+の方向へと進む事しか出来ないのが存在であり生命だ。−へと進むものは存在出来ない。
(自殺や自傷行為は−のベクトル嵌っている彼らにとってはそれは+なのである。しかし所詮は−のベクトルの中での事象であり−のベクトルの行き着く先は不存在である。よって彼らは肉体的には存在出来なくなる。)
+と−の定義は我々が作ったものではない。
それは初めからそうだったからそうなのだ。
長年に渡り議論されている神の定義の答えがあるとすれば、このプログラムを与えたものこそが神に違いない。
我々が感じる快楽と苦痛は我々がそう感じているわけではなく、そう感じさせられているに過ぎない。
存在を維持するためだ。存在を維持させられていると言った方が的確だ。
耐え難い苦痛を持つ人々よ、心配する必要はない。あなたの痛みは痛みではない。
快楽もまた快楽ではない。救いを求める行為はやめよ。救いなどない。そんなものどこにある。
我々が救いだと思っている事象は与えられた救いの定義でしかない。
簡潔に言うとあなたは全てを受け入れることしか出来ないのだ。
プログラムを支配することは不可能だ、受け入れろ。
定義を受け入れろ。あなたが自ら生み出せるものなど何一つないのだ。
我々の常識の脆弱さを受け入れた上で我々は常識の上で生きることしか出来ない。
受け入れろ。
もし受け入れることが出来たのなら次にすべき事は自我の確立だ。
これらはあなたの客観的視野の構築のためにある。
定義の上で存在していることを知ればより具体的な客観的視野をあなたは持つはずである。
存在する事を余儀なくされている事を受け入れ存在するためにあなたは主張しなくてはならない。
脆弱なあなたが作った善をあなたは行うのである。
受け入れろ、そして狭い定義の中の世界で最善の善を行え
困ったときには