1950年代末からアンダーグラウンド・シーンに出没。60年代さらに自立学校、大正行動隊、東京行動戦線ほか公然、非公然の多様なイヴェントの渦中にあり続け、<はいレッド・センター>にもその前史である<電車内での攪拌>よりコミット。
1964年、いわゆる<千円札事件>の事件懇談会事務局長を任じ、法廷史上類ない事態を現出。現代思想社編集長の数年「稲垣足穂大全」、唐十郎、笠井叡、赤瀬川原平らの処女出版、アルトー、バタイユ、レリス、クロソウスキー、ニジンスキー、デリダ、フーリエなど多数の書目を手がけつつ、一方、美学校を創設。退社後、さらに多ジャンルを横断して、さまざまなプロジェクト、<ことばそして/またはうそ>などのトーキング、舞踏、美術関係の執筆をつづけながら、ついに、声、即興のライヴ<マウスピース>を開始。
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