1969年、NASCARでは各メーカーが空力を考慮した、エアロボディを投入していった。
フォード・トリノ・タラテガ 、ダッジ・チャージャー・デイトナ 。
エアロボディを用意しなかったことから、看板ドライバーのリチャード・ペティがフォードに移籍しまうという事態になり、プリムスも翌70年よりロードランナー・スーパーバードを投入。
これにより、スーパースピードウェイとロードコースで別のボディを使い分けるという状況が生まれた。
そして1971年各車はモデルイヤーを迎えるのだが、もちろんエアロボディも開発された。
フォード・トリノ・キング・コブラ&マーキュリー・サイクロン・スポイラー?
プリムス・ロードランナー・スーパーバード
しかし、NASCARのレギュレーション改訂により、これらの怪鳥は羽ばたくことなく幻となった。
所変わって極東の国、日本ではエアロウォーズは熾烈を極めていた。
日本グランプリでは日産に勝ちを持っていかれたままのトヨタは富士オーバル専用ボディのクラウンを開発していた。
その情報を入手した日産でも富士専用車輌の開発が急遽始められた。
「いくらなんでもウチはあんなアメリカ車のコピーはできないぞ」
「何言ってんだ。ウチにはとうの昔からグランドノーズがあるじゃないか。」
「おーい、ちょっとそこのZのノーズ切ってくれ」
こうして、ニッポン・ストックカーの開発競争は続けられた。
もし、富士スピードウェイがオーバルコースとして完成していたら・・・
日本ナスカーの運営が上手くいっていたら・・・
きっと日本のレース史は現在とは大きく変わっていたでしょう。
そんなアナザーワールドをあなたの手(と妄想)で作ってみませんか?
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