大宮市立蓮小1-5→2-5石井清子先生クラスだった方達の
コミュニティを立ち上げました。
いきさつとしては
2010年7月4日、大宮にて「蓮小1年5組 石井先生を囲む会」が
開催された事に始まります。
当日、参加された方、参加出来なかった方問わず、
情報交換の場として開設しました。
では、まず7/4がどんな雰囲気だったか、少しお話します。
先生は語り口が全くお変わりなく、少し猫背になられましたが、
優しい先生そのままでした。
一次会はウェディングも出来るようなレストランで行われましたが、
なにせ、生徒達も30数年ぶりにの再会です。
会って最初こそみんな敬語でギスギスしていましたが、
そのうちに各自自己紹介が始まると、
出席者の方の記憶が序々に蘇りました。
ぞくぞくとみんなの目の前に出てくるレストランのおいしい料理には、
まるで、ロウ細工のオブジェを目の前にしているかのような、箸の付け無さぶりで
ただただ、おしゃべりと写真撮影に夢中でした。
あっと言う間の2時間が過ぎてしまいました。
石井先生は一次会の終わりに、一枚一枚手書きのメッセージとお土産を
「ありがとう。ありがとう。」と言いながら
1人1人に手渡しでくださいました。
先生が重たい荷物をご自宅から歩いて持って来たことを想像すると、
あの場ではみんな、目に涙を浮かべていたようです。
一次会が終わり、そこから石井先生と生徒達は誰1人と帰らずに、
会場近くの海鮮寿司屋さんになだれ込み、またお喋り。
(一部バカ騒ぎ)。
でも石井先生が一生懸命話す時は、
みんなちゃんと聞いていました。
これは後から話を聞いたのですが、先生が話ししていた時は、
その度に涙が出そうになってた人は何人も居たそうです。
そうして二次会もすぐに終わってしまい、
石井先生を大宮高島屋の前の大きなスクランブル交差点まで見送った時、
あの先生が小さくなるまでいつまでも後ろ姿を見て、
やっぱり来てよかったという感動と、
寂しい気持ちが入り交じっていました。
先生の生徒達はホントに名残惜しく、
みんなはその交差点にしばらく立っていました。
先生も歩きながらずっとずっと手を振っていてくれました。
そこから、その後、まだ、生徒達みんなは帰らず違う居酒屋に行き、
ほとんどの女性陣は一次会からジュース一杯しか飲んでないのにも関わらず、
まだ今この時間を名残惜しむかのように、
またみんなでたくさんたくさん話をしていました。
結局、昼1時から始めた会は、結局、夜9時過ぎまで続き、
また春に必ず開催する約束をし、
遠くは北は太田市民&宇都宮市民、南は福岡県民共、
次回も必ず戻ってくることを共に決意し、最後、大宮駅を後にしました。
今まで、進む道は違ったけれど、
多かれ少なかれ、それなりに歯を食いしばって生きてきた
そんな人たちの再会だったからこそ、
共にねぎらい、共に思い出話に花が咲いた
そんな時間が楽しく過ごせたのだと思います。
後日ざわけんが、言ってました。
「卒業式は泣かなかったけど、7/4の帰り際はホントに寂しかった」と。
以上が7/4のだいたいのあらすじです。
話しは戻りますが、
このコミュニティは次回開催に向けての作戦会議の場、
及び、7/4に感想、質問?、
または、個人的な近況報告(良かれ、悪かれ)になどなど、
書き込み自由の場にしたいと考えております。
キレイごとに聞こえてしまうかもしれませんが
みんなで考え、みんなで共有し、
少しでもみんなの心の財産になれればと思いますので、
たくさんの書き込みをよろしくお願いします。
(素通りはやめてくださいね〜)
追:7/4のクラス会の写真は
ここ管理人「かっしー」及び、「ざわけん」にてアップしています。
是非、ご覧ください。
困ったときには