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沢田美喜

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詳細 2016年6月13日 09:59更新

沢田 美喜(さわだ みき、1901年9月19日 - 1980年5月12日)は、東京都文京区出身の日本の社会事業家。クリスチャン。日本のマザー・テレサ。本名は澤田 美喜(読みは同じ)。

三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。4人の子に恵まれる。敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。

エリザベス・サンダースホームは、神奈川県中郡大磯町の児童養護施設。

第二次世界大戦後の1948年、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が、財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて400万円で買い戻して、孤児のための孤児院として設立された。

ホームは、戦後日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設であった(→血統主義)。施設の名前は、ホーム設立後、最初の寄付をしてくれた聖公会のある信者の名前から取られたものである。

1968年教え子の一人が、ブラジル政府の黒人移民不歓迎政策を打破して移民し成功している。

のちに、孤児院出身の子どもたちが、小学校、中学校に上がる年齢になって、「混血児」への周囲の偏見を心配し、学校生活との折り合いの問題などから、ホームの中に小学校、中学校も設立される。小学校は、1953年に創立され、沢田美喜の戦死した三男・晃の洗礼名から、聖ステパノ学園小学校と名づけられた。中学校は1959年に併設された。なお1993年より、外部の一般家庭の子弟も募集するようになった。小学校・中学校ともにキリスト教学校教育同盟に加盟している。


略歴
1901年9月19日:三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の長女として生まれる。岩崎家の宗教は真言宗だった。母・寧子は子爵保科正益(飯野藩第10代目藩主)の長女。

1903年1月20日:妹・澄子(伯爵甘露寺受長の弟・方房に嫁ぐ)誕生。

1907年:東京女子高等師範学校附属幼稚園に入園。

1908年7月8日:妹・綾子(福澤諭吉の孫・堅次に嫁ぐ)誕生。

1916年:東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を中退し、津田梅子らの家庭教師について学習。

1922年7月:クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚してキリスト教に改宗。

1923年:夫・廉三のアルゼンチン・ブエノスアイレスへの転任に伴い同行。長男・信一誕生。4月8日、祖母・喜勢死去。

1924年:廉三の中国・北京への転任に伴い同行。次男・久雄(声楽家・安田祥子の夫)誕生。

1925年:三男・晃(洗礼名ステパノ、聖ステパノ学園及び聖ステパノ農場の名はここに由来)誕生。

1927年:日本に帰国。

1928年:長女・恵美子誕生。

1931年:夫・廉三の英国・ロンドンへの転任に伴い同行、孤児院ドクター・バーナードス・ホーム訪問。院長の『捨てられた子を引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ』という言葉に感銘を受ける。

1933年:夫・廉三のフランス・パリへの転任に伴い同行、ジョゼフィン・ベーカーと出会い友人となる。このころマリー・ローランサンの弟子となる。

1935年:夫・廉三の米国・ニューヨークへの転任に伴い同行。パール・S・バックと出会い友人となる。

1936年:米国より帰国。

1937年9月12日:妹・澄子死去。敬虔なクリスチャンとなった美喜の影響もあり、死に際して洗礼を受ける。

1944年3月10日:母・寧子死去。

1945年:三男・晃がインドシナ沖で戦死。海軍志願兵だった。

1947年2月:列車内で死亡した混血児の母親と間違われ、混血児救済を決心。

1948年2月:孤児院エリザベス・サンダース・ホームを設立する。進駐軍と日本政府から迫害をうけ、経営は窮乏を極めた。

1949年:ホームの寄付金を募るためにアメリカで講演会を行う。このころ、後にモナコ王妃となるグレース・ケリーの知己を得る。

1950年:ホームに基金を作るため、再びアメリカで講演会を行う。

1953年:学校法人聖ステパノ学園を創立。ホームの小学校と中学校である。

1955年12月2日:父・久弥死去。

1962年:ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住。

1967年:4月2日に三兄・恒弥が、9月8日に長兄・彦弥太が相次いで死去。

1970年12月8日:夫・廉三死去。

1980年5月12日:スペインのマヨルカ島にて心臓発作のため78歳で急死。

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参加メンバー 4人
開設日
2010年6月14日

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カテゴリ
学問、研究
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