まずは、杉尾優衣の代表作とされるものをご覧いただきましょう。
愛 1
この広い世界で
あなたと出逢えたことが
私には、優しい奇蹟です
何故出逢えたのか
それが不思議ですから
こうしてここに立って
大きな海を見ています
夏の日のなか海風ははるかむこうの
カタカナの国へたどりつくはず
足もとの貝がらは白く光って
海へ戻るのを待っている
この大きな海の上に
あなたの横顔が見えるのが
何よりも
私には胸のきしむような奇蹟です
シンプルでいてピュア、そして私たちの前に静謐な時間と空間が広がります。
この杉尾優衣が伝説になってしまったのは、その終わり方にあります。終わり方といっても詩の終わり方ではなく、15年という人生の方の終わり方です。以下は、ネットからの引用で出所がはっきりとはしませんが、地元の新聞記事のように思われます。
<宮崎・高千穂>高校生が飛び降り心中
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昭和63年11月18日午後2時40分、宮崎県西臼杵郡日之影町七折の青雲橋から137m下の見立川に、会社員長男で宮崎北高2年の帆足良輔(16)と教員長女で宮崎北高1年の杉尾優衣(15)がネクタイで帆足の左手と杉尾の右手を結んだまま飛び降り心中をした。2人は写真部の先輩後輩で、男の方の背広の内ポケットに「2人の骨を一緒の墓に」「そうしたら2人は天国で一緒になれる」などと書かれた遺書を入れていた。昭和63年当時は心中事件などは一昔前の出来事というイメージだっただけに、高校生男女の心中というのは古風な愛を想起させるとセンセーションを巻き起こしてワイドショーなどで盛んに取り上げられた。
この文章だけでも、遺書は男の方だけになっているけれど、書くことが好きなはずの優衣の遺書がないのならば不自然な気がするし、「2人の骨を一緒の墓に」が実現されたのかどうかも気になります。
このコミュニティでは、このような優衣のミステリアスな部分の研究、さらに彼女の未発表作品、原稿、書簡なども発掘できれば・・・などと考えています。彼女の写真も見てみたいと思います。
柔らかい部分では、「私の好きな優衣の作品」「はじめまして」等々のトピックを自由に立てて下さい。
〔文献〕
季刊『花神』10号(1990年・花神社)
杉尾優衣『南国の秋が私をさがしている』(1990年・花神社)
中原文也『十五歳のアリア・夭折の天才詩人 杉尾優衣の生涯』(2006年・日本文学館)
文芸誌『NA』(中原文也事務所)−−−杉尾優衣研究の第一人者の中原文也氏が主宰する文芸誌で、只今「杉尾優衣、その真実」を連載中。北浦和東口駅前ショッピングプラザHOP3F、都内では練馬のベーカリー「穂高山荘」にて入手可能。
またいくつかの詩には、曲がつけられて歌われています。
困ったときには