中山 裕介とは?
1992年11月4日に大阪は鶴見にて聖誕。『裕介(ゆうすけ)』という名を授かりすくすくと育つ。念法幼稚園卒業後、鶴見南小学校に入学すると常に鶴見の街の裏側と向き合いながら成長し、小学校四年生で父親の影響もあり『東淀川ラグビースクール』に入団。父親譲りのラグビーセンスを開花させサイズは小さいながら厳しい練習を積み現東海大仰星高校の森野選手や柳村選手、小阪選手と共に強豪『東大阪ラグビースクール』に一泡も二泡も吹かせた。また後に盟友となる鳥原将司を有する伊丹ラグビースクール相手に激闘を繰り広げた。しかし卒業直前、親友の悪事に関わり丸坊主になるという破天荒な一面も。同志社香里中学に入学し同校ラグビー部に入部。ここでも抜群のラグビーセンスを発揮し一年から試合に出場。また意外にも異性から人気が出始めた。パスワーク、ランニングスキルなど各校首脳陣に注目されるも年代代表には選ばれず知る人ぞ知る名選手として名をあげる。同志社香里高校に入学しここでも一年からレギュラーに食らいついていくが花園予選準々決勝で骨折。同校は3年ぶりの決勝進出なるも出場機会を逃し人生初めての大きな壁にぶちあたるもやはり天才。素早く立ち上がり翌年はSOにコンバートされレギュラーを勝ち取る。そして2009年12月。同校ラグビー部主将になる。本来のポジションであるSHに戻りプレーに影響が出るか心配されたが優れたランプレーと天性の喧嘩っ早さで大阪、高校ラグビーシーンを代表するSHに成長。またキャプテンシーには定評があり清鶴監督の評価も高い。名言「うちょちょちょいーす」という挨拶を全国的に広めようとしているが知ってるのは安井だけである。そして遂に2010年ALLOSAKAに選出され千葉県で開催される国民体育大会に参加する。決勝戦では17歳で7人制日本代表に選ばれる布巻選手を初め超高校級の選手を擁する福岡県に1点差で敗れ、惜しくも準優勝となるが確かな「可能性」を掴み帰阪。そして16年ぶりの全国大会出場を賭け望んだ望んだ花園予選。決勝戦では再び大阪桐蔭高校と激突。二年前の悔しさを胸に11月21日。敗戦。しかし勝利では手にすることの出来ない「何か」を学んだ。大学ラグビーに向け、また再び紺グレのジャージが国立で躍動することを夢に力を蓄えている。現在は教習所で教官からの愛のむちをうけながら京橋の某ホテルで上司からの嫌がらせをエネルギーに変えて懸命に働いている。大学は同志社大学商学部に進学予定。はたして平岡の代役は見つかるのだろうか。仮免許を取得するため必死だが全く予約戦争を勝ち取ることができずキャンパスライフの序盤も免許取得のため潰されることが確定した。体育会ラグビー部に入部するため某スポーツジム守口店にて日々ウエイトトレーニングに励む傍ら愛するすみ〇んのためにない時間を作り様々なサプライズを考えリア充ライフを満喫している。大学に入学すると様々なサークル・クラブの勧誘を「ラグビー部入るんで」とくりくりおめめを武器に一掃し一躍時の人となる。
大阪から世界に名を轟かすであろうラグビープレーヤーの成長にこうご期待。
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困ったときには