背広を着た背の低い男だった。座っているから正確なところはわからないけれど、身長は150センチをそれほど越えていないだろう。年齢は四十代半ばから五十近く、むっちりと蛙のように肥って禿げている。笠原メイの分類法でいえば「松」だ。耳の上の方にいくらかは髪がすがりつくように残っているが、それが妙なかたちに真っ黒に残っているぶんだけ余計に露出が目だった。鼻は大きかったが詰まり気味なのか、息を吸い込んだり吐き出したりするたびに、ふいごみたいに音を立てて膨らんだり縮んだりした。その上には度の強そうな金属縁の眼鏡がかかっている。話すときに言葉によっては上唇がくるっとめくれて、煙草の色に染まった乱杭歯が見えた。僕がこれまで会った人間の中でも、間違いなくいちばん醜い何人かの一人だった。ただ容貌が醜いというだけでなく、そこには何かねっとりとした、言葉では形容できない不気味さがあった。それは暗闇の中で素姓の知れない大きな虫に手を触れてしまった時に感じる気味の悪さに似ていた。その男は、実在の人物というよりは昔に見たっきりすっかり忘れていた悪夢の一部みたいに見えた。(『ねじまき鳥クロニクル第3部』より)
「ヨーグルトの中の大むかで」
背が低く、頭がいびつで、髪がもしゃもしゃと縮れていた。脚は短く、キュウリのように曲がっていた。眼球が何かにびっくりしたみたいに外に飛び出し、首のまわりには異様にむっくりと肉がついていた。眉毛は濃く大きく、もう少しでくっつきそうになっていた。それはお互いを求めあっている二匹の毛虫のように見えた。
牛河はあまりにも牛河であり、そこにほかの仮定が入り込んでくる余地はなかった。
いびつな大きな頭と飛び出した眼球、短かく湾曲した両脚を持っていればこそ、ここに牛河という人間がいるのだ。
醜い少年は歳月の経過とともに成長して醜い青年となり、いつしか醜い中年男になった。
道ですれ違う人々はよく振り返って彼を見た。子供たちは遠慮なくじろじろと正面から彼の顔を眺めた。(『1Q84 BOOK3』より)
「好きでも嫌いでも一生牛河」の牛河さん
「あまりにも牛河」な牛河さん
「福助頭」、タマルや青豆にまでそう呼ばれてしまった牛河さん
私たちはあなたの無念さを思い、あなたがたまらなく愛おしいのです。
あなたという存在の確かさを末長く心の奥深くに留めることを
ここに表明いたします。