神田瀧夢 (かんだ ろむ)
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神の田(フィールド)において亜細亜人がもっとも畏敬する、十二支の中で一番力強くまた幸運を象徴する龍の年に生を受けた。神なる龍、、、夢に向かって高く舞い上がる強運な人生を讃えている。 米ショービジネス界での大きな飛躍が期待される日本を代表する大型エンターテイナーが神田瀧夢だ。
大阪府出身。地元の名門清風高校を卒業後、英知大学に進み、在学中に英国、米国へ語学留学。秀でた語学力はこの時に身につけたものである。英米留学が彼にもたらしたのは英語力だけではなかった。19歳で初めて海外に留学したとき強烈にカルチャーショックを受け、類稀なる感性の持ち主であった神田は、この留学を契機に世界へと目を向け始めることになる。日本のみならず常に”世界を舞台”にしたエンターテーメントの世界で仕事をしていく決意をする。
留学中ロサンゼルスに渡り初めて出演したコメディークラブ「イグウィーズ」において、コメディーに特に厳しいアメリカの観客から拍手喝采のスタンディングオーベーションを受け絶大なる支持を得ることになる。87年には日米合作の「トーキョーポップ」で映画デビュー。その後世界中を忙しく飛び回りながら、”世界の北野武”監督処女作「その男凶暴につき」を皮切りに、キッズリターンまでの北野映画全作品にことごとく出演を果たすという離れ業を演じ、当時の最多出演記録保持者となる。
神田瀧夢は単なるエンターテイナーではない。空手道、剣道、居合道をはじめとする武道全般に通じ、能、狂言、日本舞踊など、ありとあらゆる伝統芸能に精通した、今時珍しい「ホンモノ」の俳優である。国際人であるということは、何も無国籍人ということではない。自分の属する共同体、国家における伝統文化を継承し、それを幅広く世界に紹介できる、それこそ彼が「ホンモノ」の国際的俳優である証なのだ。
日本人俳優には未開の聖域であったハリウッドでも、神田はやはり米国に迎合することなく己の信念を貫いている。この地で神田が残した足跡と彼の信念は、己の名声のためだけではなく、必ずや後に続く日本人若手俳優たちの道標となるのである。それが彼の終わりなき使命である。 神田はそれを生涯の「志」とした。
「志」とは文字どおり「士」の「心」。「士」の「心」とは何か?命よりも名を惜しむ、これこそが士の本来の心である。その昔、「志」を体現した武士たちは、「武士道」のもとに、その理想を主君の馬前で討死するという、その一事に絞っていた。肉体は当然大切であるが、それよりももっと大切な価値を自己の生(いのち)のなかに感じるということである。自分の立てた決意が自分の命よりも大切なのであるから後は寿命がくるまでやりぬくだけなのである。「志」はこのようなエネルギーであるからこそ、また感化力もあるのである。「志」をもってはじめた事柄は、本人が死んでも必ずその感化力を受けた他の人がそれを成し遂げるのである。その影響下にあった誰かがこの「志」を継承することになる。これは歴史を振り返ればよくわかる。幕末の武士たちは「志」半ばで倒れたが、強固たるその意思は後世に引き継がれ、明治維新は屈することなく遂行されたのである。
昇竜の如き才能と強運の持ち主である神田瀧夢にも自己の命よりも重いその志を立てるまでは、長い精神的葛藤の時期があった。
1994年から96年の3年間、神田は米国縦横断を皮切りに、30数カ国を巡る世界一周の一人旅に出た。この旅で神田は、世界の伝説的人物と運命的な出会いを果たすことになる、、、インドの聖人サイババ、今はなきマザーテレサ、、、、かれらの放つその愛に満ち溢れた神々しさに圧倒される神田、、、。また、オーストラリアのアボリジニーやニュージーランドのマオリ族、米国ではネイティブアメリカンと深い精神的交流を築いた。中でも特にアリゾナ州のホピ族の祈祷師(メディシンマン)との交流において神々の畏敬に深く触れることになる。この旅で受けた感銘が、その後の彼の人生において大きなターニングポイントとなった。この世界には、とてつもなく奥深い数多くの精神的巨人が埋もれていたのである。神田はこの世界一周孤独の旅の中で、大きな精神的支柱を得たのだ。
神田の新たなスタートがきって落とされた。97年再び渡米した彼は、ロサンジェルスとニューヨークでエージェント(プロダクション)にアプローチ。日本での経歴と伝統芸能の業が認められ、”Extraordinary Artist Greencard(秀でた才能を持つ芸術家)”の取得許可がおり16年の準備期間を終え、99年10月にはニューヨークに正式に移住することになる。己の力で世界への扉を開き第一歩を歩みだしたのである。
ニューヨークへ移住後、ハーレムのアポロシアター「アマチュアナイト」に出演。英語での漫才やまたラップにもチャレンジした。アメリカの黒人エンターテイナーはほとんどこのアポロシアター出身である。 またアルパチーノやニコラスケイジの師匠でアクターズスタジオの正式メンバーであるサンドラリー女史に演技力を認められる。 2000年にはグラミーショー受賞のニュージャージーシンフォニーオーケストラを従えて”PETRUSHIKA”で主演、全米各地で公演する。 2001年には、MGM制作のハリウッド映画”ダイハード”で有名なジョンミクティアナン監督作品”ROLLERBALL”に出演。日本でも人気の高いジャンレノやLLクールジェイと共演。 2003年4月、ニューヨークのコメディークラブの殿堂”BOSTON COMEDY CLUB”にて、スタンダップコメディアンとしてのデビューを果たす。以降、ニューヨーク、ロサンジェルス、モントリオールなど、各地で活躍中。
神田瀧夢とは21世紀の世界一のショービジネスの地アメリカにおいて、武士の心、大和魂を力尽きるまで燃焼し続ける俳優である。
公式HP
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