本名ビクトル古賀正一先生は、ロシアの格闘技『サンボ』の伝説的な選手(41連戦41連勝全部3分以内1本勝ち)。
日本サンボ連盟最高顧問。
「サンボの神様」と言われる。
サンボの技にビクトルの名がある。レスリング、柔道他の格闘技も。
でも、ビクトル古賀先生の魅力は、それだけではないスケールの大きさを感じます。
古賀先生を知れば知るほど、その飾らない人間らしい生き方そのものに感動を覚えます。
友情を重んじ、利害でなく一人の人のために全力で動かれる、権威をかざしたり人を見下したりしない、気さくで暖かな人柄、そして…
そんな尽きない魅力あふれる古賀先生のことを、皆さんと一緒に少しでも知っていけたらと思います。
ビクトル古賀先生は、世界が混乱の中にあった1935年1月1日、ソ連国境に近い旧満州のハイラルでコサックの血を受け継ぐロシア人の母親(キセニア)と日本人の父親(仁吉)の間に生まれた。
ソ連も満州も既に消滅した現在、ハイラルは中国に属している。
十歳までこの地でロシア人の家族とともに、中国人やモンゴル人なども住む街で少年時代を過ごす。いろいろな民族の友達と頻繁に相撲などのとっくみあいをして遊んだことは基礎体力向上に大きく役立ち、コサックとして五歳から自分の馬を持っていたことは、相手の関節を取るために必要な知恵を自然と身につけるのに役立ったようだ。また多民族都市ハイラルで身につけた「国際性」は、終戦後命を落とさず一人で日本にたどり着く旅路で何度も役立ったはずだ、と古賀先生を師と仰ぐ東海大学の山口輝義氏は語る。
日本大学レスリング部時代はアマレスラーとして海外遠征を幾度も経験。
卒業後、サンボと出会い、やがて「サンボの神様」と言われるようになった。
1970年代〜スポーツ会館、東海大学等でサンボの指導を始める。
1972年 FILAサンボ世界大会優勝。
1974年 FILA傘下として、国際アマチュア・サンボ連盟が発足。サンボ普及国際技術委員として、チホミロフやイオノフらと世界巡回指導に奔走。
1975年12月 ソ連邦功労スポーツマスターの称号が贈られる(自由主義圏で初の受賞)。
1977年 ソ連邦スポーツ英雄功労賞を受賞。
1996年 世界サンボ連盟特別功労賞を受賞。
現在 ダーチャで野菜を育て、自然と共生し、サンボを教える日々。