●藤原定家
1162(応保2)年〜1241(仁治2)年
鎌倉時代の歌人。新古今和歌集の撰者に選ばれる。
18歳から74歳までの56年に亘る日記『明月記』(冷泉家に伝わる自筆本は国宝に指定される)。
歌論に「毎月抄」「近代秀歌」「詠歌大概」、歌集に「拾遺愚草」などがある。
藤原俊成の息子。
藤原俊成、定家、為家の親子三代に亘り、勅撰和歌集の撰者選ばれる。
また、定家の息子為家の後妻が阿仏尼(「十六夜日記」著)で、その息子に為相(ためすけ)がいて、初代冷泉家となる。
勅撰和歌集の撰者に選ばれることは大変名誉なことであり、勅命が下ってから和歌を集めていては遅すぎるので、普段から和歌を集めていた。
私家集などの類であり、そのため、定家筆の写本が数多く現存し、多くは重要文化財などに指定されている。
●「明月記」について
18歳から74歳までの56年に亘って詳細に書きつづられた、類稀なる日記。
現在、冷泉家に伝わる「明月記」は、財団法人冷泉家時雨亭文庫の所蔵。
散逸したものも多いが、大部分が冷泉家に伝わって残っている。
平成に入り、国宝に指定される。
冷泉家には、蔵があり、約800年、代々、冷泉家当主しか入ることが許されなかった。
しかし、現当主の先代(24代)のときに、戦後、相続税などが厳しくなり、調査が入ることとなった。
そのとき、約800年来、初めて、外部の人の目に触れることとなり、「明月記」も、写真版の資料(「冷泉家時雨亭叢書」)として初めて刊行されることになった。
「明月記」も含めて、冷泉家時雨亭叢書完結記念で、現在(2009/10/24〜12/20まで)、「冷泉家 王朝の和歌守展」が東京都美術館にて開催され、「明月記」の現物、ならびに、俊成・定家・為家の自筆本や写本などが数多く展示されている。これほどの一挙公開は、800年来で初めてのこと。
○墓
相国寺(京都、上京区)
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困ったときには