銀塩写真とデジタル化された銀写真の違いを最近は感性に敏感な若者が感じていて、ロモとか、クラカメで撮り始め、本物の銀塩を求め、ようやく探せたという手紙やら、お店に足を運んでくれます。
テッチャンはSLの黒が潰れずに出るとか、空の色がこんなに豊富だとか、etc20年も銀塩写真の現像をしていると何かの武道のようにも思えてきます。
朝にモーニングセットアップ、フィルムを流したあとは、上部ラックに注水、1日使い終わった機械は終業点検、フィルムやペーパーが180度ターンをするラックを水に浸けて翌朝まで薬品が結晶しないように、浸け込みます。ほぼ365日×20年間
毎日が手を抜けず、一定量のフィルムを処理しなければ、毋液が変化し酷い事になります。鍛錬の日々の連続です。山岡鉄舟ではないけれど、人は斬らなかったけれど、毎日の鍛錬を欠かさなかったと言われております。
フィルムは化学変化で処理しています。印画紙の露光もハロゲンランプでネガに露光をしているし、これも化学変化です。いわんやデジタルプリントはフィルムをデジタル化したデータにしかすぎません。化学変化でできる微妙な作業の事を理解してもらえないのでしょう。人生は思い込みの連続かもしれません。
例えば臨死で誰も知らないだけで、振り返ってみたら千人の魂に見つめられているかのようと表現した人が居ます。2000年以降デジタルばかりでケミカル未体験の銀塩写真の世界へ!
今まで思っても見なかったという未体験のゾーンに若者達がフィルムのケミカルな不可思議な世界に入ってきたのかもしれません。
古いものの例えに『前世紀の遺物』という言い方をしますが、銀塩写真をプリント出来る現像機(ペーパープロセッサー)はざっくりとした言い方をすると、プロ用を除き21世紀に製造されたものははありません。デジタル機ばかりです。
21世紀に入り製造メーカーは挙ってデジタルの現像機を売りました。フィルムもデジタルも両方プリント出来るというのがうたい文句でした。しかしフィルムはスキャナーで一旦デジタル化しなければ銀写真やインクジェットで印刷も出来ません。
フィルムは蚊帳の外に置かれメディアとして化学変化で生まれる物が、同列に語られています。銀塩写真はハロゲンランプなどで露光されケミカル処理されています。
フィルムは正しいプリント処理をしなければ公正取引委員会が監視すべき内容を含んでいると思いませんか、デジタルデータではなくフィルムなのだから、有無を言わさず銀塩フィルムを専門店なのにデジタルの銀写真は説明責任がなさすぎる。
それでもデジタルがいいというユーザーのみの選択ではないのか。
フィルム&デジタルの双方は正規には互換などせず、棲み分けするのが正しい方向性でユーザーの利益にもなると考えます。
もうすぐ21世紀に入り早11年に入りました。メーカーの部品も無くなっております。いわば風前の灯火のようにも言われています。銀塩写真の文化を大袈裟に言うと担っている責任も感じております。この時期に区切りをつけたいと考えました。
このコミュニティはノーリツ綱機製1912型、1923型の写真制作現場におられる方、及び銀塩リスペクトの愛好家、エンドユーザー、及び銀塩写真リスペクトの職業写真家が参加出来る事と致します。