戦後の日本のジャズ界が生んだ最高のピアニストの一人であり、
日本最高のモダン・ジャズ・ピアニストの一人と評される八城一夫のコミュニティです。
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八城一夫(やしろかずお)1930.2.10-1991.7.13
昭和5年、東京生まれ、本名:屋代和雄、通称「やっちん」。
戦中の疎開先でピアノを独学で習得し、サラリーマン生活の後、ジャズ・ピアニストとして活動。
オスカー・ピーターソンに憧れ、エロル・ガーナーのナンバーを得意とした。
1950年代に入ってから頭角を現わし、海老原啓一郎とミッドナイト・サンズ、高見健三とミッドナイト・サンズ、小野満とフォー・ブラザースなど日本のモダンジャズ創世記の有名バンドを経る。
特に白木秀雄クインテットでは作曲やアレンジでも活躍し、1958年には白木秀雄クインテットのピアノの座を世良譲に譲り、八城一夫トリオを結成。後に1960年には渡辺貞夫(as)を加えカルテットとなり、渡辺貞夫がアメリカ留学に出発するまで続いた。
渡辺貞夫留学後は再びトリオに戻し、また、八城一夫クインテットや1986年には7重奏団のスーパー・ジョッキー・クラブを結成し、70年代・80年代に入っても意欲は衰えなかった。
全盛期にはジャズクラブは無論、TV・ラジオなどで幅広く人気を集めた。
また、“菅野録音”と呼ばれるレコーディング・エンジニア(現・オーディオ評論家)菅野沖彦の録音による数々の名作を発表した。
困ったときには