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RDの後継車種で、1980年8月に株式会社ヤマハ発動機から販売された国内向け専用の250ccのオートバイ車名である。
1970年代、北米を中心に自動車排出ガス規制が強化され、2ストロークエンジンの使用が厳しくなってゆく中、最後の2ストロークスポーツモデルを作るという思想から誕生した。
「RZ」の「R」は元来はヤマハ社内で350ccを意味している記号ではあるが、「Z」は水冷を意味する。他にアルファベット最後の文字から転じて、最後の、究極のといった意味も込めているという。
スポーツバイク本来の基本走行性能を中心に設計されたエンジンは、当時の同社製市販レーサーであるTZと同じボア・ストローク(54mm×54mm)の水冷2ストローク並列2気筒のレイアウトを採り、同クラスとして当時トップの35psを誇った。軽量化のため樹脂部品も多用された他、リアサスペンションにはロードスポーツモデル初採用のカンチレバータイプのモノショック(モノクロスサスペンション)、新デザインのキャストホイール、大型のハロゲンヘッドライトなど、当時の最先端アイテムを装備していた。オートバイ専門誌のスクープ記事で初めて紹介された1979年から1年近く待たされての発売(1980年8月)だったことも手伝ってか、注文から納車まで3ヶ月待ちなどという状況が暫らく続くほどの大ヒット作となった。株式会社GKインダストリアルデザイン研究所(現・株式会社GKダイナミックス)の手によるスタイリング・デザイン面も好評だった。なお、通称日の丸カラーともいわれる初期型のホワイトモデルは美しいパールペイントである。(以降のホワイトはソリッドホワイト)
そして走行性能の高さも特筆するものであり、上位排気量の4ストローク400ccクラスとも対等以上に渡り合える性能だったことから、「400キラー」とも呼ばれた。車両の走行性能などの目安とされるパワーウェイトレシオも3.97kg/psと、当時の4ストローク400ccクラスと肩を並べられるものだった。チャンバータイプの(膨張室を持った)マフラーの市販車採用も当時では珍しく、ルックスのレースイメージのアップとともに、性能アップにも貢献していた。
RZ250の商業的成功は、消えかかっていた2ストロークファンを呼び戻し、その後に続くレーサーレプリカブームの布石ともなった。
困ったときには