相模小田原藩の初代藩主
大久保忠世の嫡男として生まれる。
11歳の頃から家康に仕え三河一向一揆、姉川の戦い、三方ケ原の戦い、小牧・長久手の戦い、小田原合戦等参戦、武功を挙げた。
文禄2年家康三男秀忠付の家老となる。
文禄3年父忠世が亡くなり、家督を継いで小田原の領主となる。
慶長5年関ケ原合戦時は秀忠に従い中山道を進み、上田城に籠城する真田昌幸を攻撃。
慶長10年第2代将軍秀忠の年寄衆になる。
慶長17年岡本大八事件
慶長19年大久保長安事件により改易。近江に流配。井伊直孝に預けられる。(近江栗太郡中村郷に5000石の知行地)
寛永5年死去。享年75歳。
後に大久保家家督は嫡孫の大久保忠職が継ぐことが許され、後に小田原藩主として復帰を果たした。