第92代天皇『伏見天皇』
文永2年4月23日 〜 文保元年9月3日(1265年5月10日 〜 1317年10月8日)
諱は熈仁(ひろひと)。御陵は京都市伏見区深草北陵。
和歌と書に優れ、歌人としても書人としても名手であった。
書道では伏見院流の祖である。能書の誉高く、小野道風、藤原行成らの書跡を賞玩し、藤原行成を彷彿させる名手で、歴代天皇の中でもとりわけ能筆ぶりを発揮した。書風は後世、伏見院流といわれ、特に鎌倉時代の天皇の書の主流となって受け継がれていった。
京極派の有力歌人としても知られ、京極為兼・永福門院と並ぶ代表的存在。京極為兼に『玉葉和歌集』を撰修させる。この『玉葉集』と『風雅集』いずれも最多入集歌人である。和歌三千余首を自ら編集した自筆の御集が存在したが、数首ずつ切り離され、「広沢切」と呼ばれる古筆切として今に伝わっている。
そのほか琵琶・蹴鞠などにも秀でた。
日記『伏見院御記』があり、一部現存する。
●在位
弘安10年10月21日〜永仁6年7月22日
(1287年11月27日〜1298年8月30日)
●元号
・弘安 (1287年10月21日) - 1288年4月28日
・正応 1288年4月28日 - 1293年8月5日
・永仁 1293年8月5日 - (1298年7月22日)
困ったときには