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KING☆KAZU 田中 和明

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詳細 2016年5月9日 21:44更新

本Feペディア(出典:Wikipedia)パソコン



『田中 和明』とは?



田中 和明(たなか かずあき)

兵庫県宝塚市出身の日本の元俳優。
1983年10月26日ー兵庫県宝塚市生まれ。現在、神奈川県横浜市在住の30歳。
血液型はO型。身長188センチ、体重75キロ。さそり座。




1.来歴・人物
  1.1.幼少期


兵庫県宝塚市内の「清水産婦人科」で午前8時16分に次男として産声をあげる。出産時は3250グラム。生まれて間もなく「新生児黄疸」の為、即入院、生死をさまよう。その後、大阪(千里)の住宅地で育つ。2歳のときに父の仕事で一家でアメリカへ。毎日、白人の金髪美女の奴隷となり、毎日のように子供が乗る馬車見たいのを引っ張らさせられる。この頃、自分が美女に弱いことに気づく。
1988年に帰国し、名門「関西大学幼稚園」に中途入園。 園内で飼育していたアヒルを街中に逃がすなど、動物への愛情は人一倍。この頃、人生の最大の敵「トマト」に出会い、毎日ポケットにトマトを隠し、アヒルの餌にしていた。その後、千里第一小学校へ入学し、自宅マンション前の「住友銀行社宅」の子供達と抗争する。その後も転校を繰り返すと共に、人生をリセットし、すみれが丘小学校、篠原小学校と小学校3つはしごする。

  
  1.2.篠原小学校時代


篠原小学校では6年生の時「欽ちゃんの仮装大賞」に出る。このとき演じたのは、「源氏と平家の戦い」、僕は、琵琶法師役として出る(もちろん主役)。結果は17点で見事合格。
母親に「デパートに行く」といわれ「日能研」に連れてこられ、なんやかんやで「日本大学中学校」に入学。


  1.3.日本大学中学校・高等学校時代


中学校の入学式で、学ランもボタンを開けていたことを注意され、なめた口をきき、その場でビンタを30発以上くらい、その日に学校を辞めようと思った。 サッカー部に入部し、中学2年の夏に1年上の先輩の代の最後の大会で試合に出るが、大雨でぬかるんでたせいか、相手のタックルで右足の十字靭帯を損傷する。半年以上ものリハビリと松葉杖え生活を強いられる。結局、中学3年の最後夏の大会には間に合わず、引退。
高校も続けようと思ったが、膝のことや、外部からたくさんうまい選手が入ってきたこと、さらには中学のときに慕っていた先生(安藤先生。現日大東北高校)が、辞めたことが最大の理由としてサッカー部には入らず。因みに、膝の後遺症は思ったより大きく、高校1・高2と同じ箇所を損傷し、松葉杖生活を繰り返す。高校時代の成績は意外にもよく、常に10番以内には入っており、高校3年の最後の期末試験は1位で、卒業式に優等生として表彰される。


  1.4.日本大学時代


そのまま大学はエスカレーター式で「日本大学法学部法律学科法職課程」に進学。大学2年時に芸能事務所「ニグンニイバ」にスカウトされる。このとき、宣材写真等に関してもお金を一切出さないことを契約に専属契約を結ぶ。初仕事は花王のCMで,出演時間はわずか0.5秒。それでも学校で、「白髪染めのCM出てなかった?」とか聞かれうれしかった。立て続けに、特命係長只野仁にチンピラ役として出演。このドラマはおっぱいなどが出るため、同年代の子たちが数多く見ており、特に出演したことは言ってなかったが、放送後、電話が鳴りっぱなしだった。その後はまったく仕事はなく、オーディションを受ける日々。週に1度、新宿村スタジオで芝居の稽古もしていたが、ほとんどズル休みしてた。実は、その頃から、このまま芸能の仕事をしていくのか迷っていた。3年になり、まわりが就職活動をし始めるにあたり、
「人と同じことはしたくない!」
「やりたいこともないのに、とりあえずあーだのこーだの理由を付けて就職したくない」
「どうせなら、日本一高い山にチャレンジしたい」
「ならば、資格試験の最難関、司法試験を。」と、事務所に内緒で法科大学院の試験を受け始める。一方で,大学4年の夏に。ドラマ「大人の夏休み」でライフセーバーの役で初のレギラー出演。寺島しのぶさんが初の連ドラ主演とあって、注目はされたが、視聴率は悪かった。仕事の合間に、法科大学院の筆記試験や面接試験を受ける。そんななか、渡辺謙主演映画「明日への記憶」のオーディションがあり、渡辺謙の若い頃の役で、最終選考まで残る(自分を含め2人)。 このとき、「もし選ばれたら芸能の仕事をやっていこう!で、だめだったら辞めようと決意する。」結果はだめだった。 そして、ドラマの打ち上げ後、事務所の社長・マネージャーを含めて話し合いをし、再三、事務所を辞めることを引き止められたが、意思は固く。卒業とともに事務所を辞め、明治学院大学大学院へ進学する。2009年3月に同校を卒業し、現在、兵庫県神戸市にある祖父の家に居候しながら勉強中。



   〜現在〜

2012年より再び、故郷・横浜(菊名)に戻る。2013年より社会人生活をスタートさせる。同時に田中自身が長年掲げていた、「脱・実家」を実行し、横浜市港北区綱島のデザイナーズマンションで念願の一人暮らしを始めた。

2013年4月より神奈川県小田原市内で法律関連の仕事に就く。毎朝、綱島から小田原まで約1時間30分の電車通勤をしている。田中は、「いずれはポルシェ・カイエンに乗って青山辺りに住みたい。」と発言している。(※通称:カイエン青山)

以前から公務員の友人、知人に向かって『よッ、税金泥棒ー!』、『安定なんてクソくらえ!』と、冷やかしていたが、数年後自らもその立場になってしまった。
これには田中本人も「まさか、自分が皆様の血税を頂戴する立場になるとは。。。」と話していた。(2013年3月31日付インタビューにて。)


2.エピソード


・日本大学中学校・高等学校時代の同級生には、田中同様に個性的な学生が非常に多かった。(※後述。)

・田中が学生時代だった当時、所属していた日本大学高校ではクラスの8割が「be動詞」の意味すら知らない状況で、「気合いだ!」と、気合いを注入され付属大学への進学をするためのテストを受けたが、付属高校22校中下から2番目と、結果は散々だった。ちなみに一番下は長崎日大であった。

・田中が在校時の日本大学中学校・高等学校は現在と違い男子校であった。

・男子校であった為、青春時代の色恋沙汰はあまりなかった。しかし、そのルックスから共学であれば確実にモテテいたため、田中は進学先を誤ったと揶揄される時期もあった。このことについて田中自身は、「色々な思い出を酒のつまみに話せる友達がいる。それだけで十分。」と語っており、本人は全く気にしていない様子。

・アルバイトとして働いていた横浜・馬車道にある『ミルベーゼ横濱』に同じ姓の田中結がいる。よく兄弟と間違われるが、2人に血縁関係はなく全くの別人である。それどころか、田中和明が田中結を一方的に嫌っていると一部週刊誌に取り上げられるなど、この2人の確執の噂は絶えない。

・日本大学高等学校の後輩に、荒川雄太(現・福岡ソフトバンクホークス 捕手)がいる。

・理想の女性のタイプは、国仲涼子に加藤ローサと北川景子と柴咲コウと相武紗希を足して割らない人。



※個性的な同期の逸話

・ほぼ毎日のようにち○こや肛門を出すやつ(現在;俳優)。
・授業中発狂するやつ。
・いじめられて親呼んで、さらにいじめられてたやつ(俺はノウタッチ)
・雨降ると部活にこないやつ。
・立ち食いを注意され、カレーパンをちぎって「死ね!」といい、先生に投げつけるという暴挙にでるやつ(現在;フリーライター)。
・肩パンされすぎて病院に通院してたやつ。
・泳げないだけなのに、わざわざ皮膚科の先生に嘘ついて、6年間水泳の授業さぼったやつ。
・クラス全員でカンニングを試みた1年D組の生徒たち。
・生物の先生に恋して、生物の勉強しかしないやつ。
・ちん毛が生えそろっていないあまり、ちん毛を剃ってる疑惑が浮上し、「剃り男」と命名されたやつ。
・授業中寝てて、先生に怒られ「お前、何部だ!」って聞かれ、サッカー部なのに、咄嗟に、その先生がアメフト部の顧問なのを知らず、「アメフト部です」って嘘ついて、「てめぇーなんか、見たことねぇよ!」とさらに怒られるやつ(現在;薬品会社勤務)。
・友達の筆箱に沢庵(たくあん)いれて喜んでるやつ。
・なにかと意味もなく、持ち上げられ胴上げされてるやつ。
・普通に「土地があたった!」とか、とんでもない嘘をつくやつ。
・ひたすら、購買部にパンとジュースを買いにいかされてた子。
・自己のロッカーを使ってエロビデオ&エロ本のレンタル業を開店してるやつ。
・ロッカーでコウモリを飼育してるやつ。








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