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おてんば珠姫さま!

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詳細 2012年12月31日 18:12更新

北國新聞月刊「アクタス」にて2007年4月号より2011年3月号まで好評連載の
おてんば珠姫さま!コミュです。

(敬称略)作・大西巷一 着彩・宮前洋介 考証協力・長谷川孝徳(北陸大学教授)

珠姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
珠姫(たまひめ、1599年8月1日(慶長4年6月11日) - 1622年8月9日(元和8年7月3日))は、徳川秀忠と正室江の次女で、徳川家康の内孫で、前田利常の正室である。実姉は千姫(豊臣秀頼正室、本多忠刻正室)、実妹は、勝姫(松平忠直正室)、初姫(初の養女で京極忠高正室)、東福門院和子(後水尾天皇の妃)、実弟は、徳川家光(江戸幕府三代将軍)と、徳川忠長(駿府城主)と、異母弟には、保科正之(会津若松城主)らがいる。幼名、子々姫(ねねひめ)。戒名、天徳院殿乾運淳貞大禅定尼。法号天徳院。
慶長5年(1600年)、前田利常と結納をかわす。翌慶長6年(1601年)江戸から金沢に入り、結婚。この時わずか3歳。慶長18年(1613年)長女・亀鶴姫(後に森忠広室)を出産。元和元年(1615年)長男・光高を出産。元和2年(1616年)に次女・小媛を出産。元和3年(1617年)次男・利次を出産。元和4年(1618年)三男・利治を出産。元和5年(1619年)、三女・満(後に浅野光晟室)を出産。元和7年(1621年)、四女・富(後に八条宮智忠親王妃)を出産。元和8年(1622年)五女・夏の出産4ヶ月後に病没。享年24。法号天徳院。
墓所は、金沢市に天徳院に葬られたが、現在の墓所は、野田山墓地である。

エピソード

夫・利常とは政略結婚であったが非常に仲の良い夫婦であったと伝わる(父・秀忠宛に参勤交代中の利常を早く加賀に帰してくれるよう要請する手紙が現存している。上記の子供の数からもそれは伺える)。しかし、外様筆頭の前田氏に幕府の情報が筒抜けになることを恐れた珠姫の乳母は、夏姫の出産後母体の調子が宜しくないと言う理由を付けて、珠姫を隔離してしまった。事情を良く知らない珠姫は利常の御成が無くなったのを寵愛が薄れたからと誤解し、衰弱死してしまった。臨終の床に強引に駆けつけた利常は珠姫の遺言からすべての事情を悟り、その怒りから珠姫の乳母を蛇攻めにして処刑してしまったという。(参考文献:磯田道史『殿様の通信簿』ISBN 4022501898)

以上wikipediaより転載

と、史実では薄幸のイメージもある珠姫様ですが
作品中では加賀藩に嫁いで10年、13歳になった珠姫様が
城を抜け出しては色々な事件に巻き込まれたり騒ぎの張本人となったりと
大活躍?
石川・富山の地域社会・経済が中心のアクタス誌において
一服の清涼剤といった感じの当作品。
9ページフルカラーで見た目も鮮やか。
思わず珠ちゃんと呼んで応援したくなる(ねねちゃんでももちろんOK)
そんな おてんば珠姫さま を応援したい人のコミュニティです。

北國新聞一面で連載された「金沢は城下町じゃ」のタイトルカットのお姫様が珠姫さまです。

はじめましてトピはこちらです。自己紹介される方はこちらでお願いします
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42888668&comm_id=4298336

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仮に北國の一面から取り込みましたが
無断転載になるのは嬉しくないのと
あくまで仮ということで〜

トピ立ては自由ですが全く関係無い内容のトピなどは削除します。

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