つい最近だが、仕事してる時に「状況学」という言葉を思いついた。
パソコンで検索しても、出て来ない。
( ̄□ ̄;
どうやら私が発明した言葉らしい。
(*´▽`*) あぁ。
では、安心して「状況学」を論じる事ができるわけだ。
(*´▽`*) あぁ。
状況学というのは、基本的に非常にシンプルな学問である。
人は毎日、様々な選択をしながらそれぞれの人生を生きている訳だが、それぞれのその時、その時の自分の選択を後で後悔したり、喜んだりする生き物でもある。
ではその選択は、偶然なのか、必然なのか?
正しいのか、間違ってるのか?
結果が良くて喜んでる時なら、あまり問題は無い。
失敗して後悔した時に、なんで失敗したのかを客観的に状況の分析をしなくてはならなくなってくる。
「ああ、あの時、なんでわかっちゃいるけど、あんな馬鹿な事をしてしまったんだろうか?」
それくらい後悔したときに、「状況学」なる学問は必要になってくる。
簡単に言うと「鼻面にニンジンぶら下げられて、ムチ入れられた馬は危険な道でも走るしかない」って感じです。
人がひとつの大きな行動の決意をする時、大抵の場合、複数の大きな状況がそうさせるかのように無理やり、仕組んでくるものです。
仕組んでくるのは“神様”というか「状況が」です。(*´▽`*) あぁ。
私は、結局の所、この世界中のありとあらゆる存在は、自分の生まれ変わりだと思ってます。
だから、頭に来る事や、信じられない言動をする人や、理解できない事があっても、その人の立場に立って、その人の置かれてる状況とかを考えたり、その人が今まで味わってきたその人の人生の様々な要素を思い出すかのように感情移入してしまうと、なんかやっぱり、許せてしまうのです。誰でも...。
自分のように...。
「状況学」というのは、そういうことを研究する学問です。
まあ、みんなでゆっくり構築してみましょう。
時間はたっぷりあります。
困ったときには