1138〜1179.9.2。
改名、重盛→浄蓮。
別名、小松内大臣、灯籠大臣。
最高位、正二位・内大臣左大将。
保元・平治の乱にて戦功上げ、
父・清盛立身と共に累進出世。
六波羅小松第に居構えた事から、
「小松殿」、その邸宅に48の灯籠を
建てた事から「灯籠大臣」とも呼称
※年譜
1138年、清盛嫡男として生誕。
1150年、従五位下・蔵人に任官。
1156年、保元の乱参戦・勝利。
1157年、従五位上に昇叙。
同年、正五位下に昇叙。
1158年、遠江守に任官。
1159年、平治の乱参戦・配下に対し
「年号・平治、都・平安、我等・平氏、
三つ同じ(平)だ。ならば敵を
平らげようぞ」と味方士気鼓舞。
獅子奮迅活躍し、従四位下に昇叙
また、伊予守と左馬頭を兼務。
1161年、正四位下・右兵衛督任官。
1162年、従三位に昇叙。
1164年、正二位に昇叙。
1165年、参議任官。
1166年、左平衛督任官。その後、
権中納言・右衛門督任官。
1167年、従二位に昇叙。
同年、権大納言任官。
1169年、正二位に昇叙。
1174年、右近衛大将任官。
1177年、左近衛大将任官。
同年、内大臣任官。
1179年、出家後、病状悪化し死去
優良武人と同時に、穏和で気配り
出来る人物で或り、温厚・誠実な
人柄で上皇信任厚く、平氏一門の
良識派的存在。清盛・上皇の狭間で
苦しみ、母の身分低い為に身内の
支援得られず孤立、早世する。
困ったときには