今は無き、養父町立広谷中学校のコミュニティです。
コミュニティ設立趣意書
現在mixiには、「養父中学校」コミュが存在しています。が、その実態は、旧養父中学校と新養父中学校両校のコミュニティをマージしたものです(当然のように新旧養父中学校コミュがくっついていることには強い違和感があります)。
そこへ広谷中学校卒業生がお邪魔するのもちょっと…。
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この際、本音を。
旧養父中学校・広谷中学校・建屋中学校が統廃合して、現在の養父中学校が出来たのであるから、養父中学校コミュには、旧三中学卒業生が、参加する一定のゆかりを、等しく有しているはずである。ところが養父中学校コミュの案内には、その点への配慮が微塵もない。統廃合前世代については、参加を旧養父中学校卒業生に限定するという驚くべき偏狭ぶり。広谷中学校と建屋中学校の卒業生は、あのコミュから事実上排除されることになった。受け皿を求めてあえて参加したとしても、外様の様な肩身の狭い思いを強いられることだろう。
不満はそこだけに留まらない。あのコミュは、旧養父中学校が主たる母体となり広谷・建屋二校を取り込む形で統合したかのような誤解を与えかねない、不愉快極まりない存在である。事実、養父中コミュにてそのような誤認に基づいている疑いの強い書き込みが散見される始末。アホか、田舎もんが。
再確認するが、統合前の3中学はそれぞれ廃校となり、対等に統合され、新養父中学校が設置されたのだ(設置場所は、当然、広谷地区)。学校名に「養父」が残ったのは、当時の設置主体が養父町であったことに由来するだけのことである。「もとの場所」もクソもない。新旧養父中学校は、全く別の学校なのだ(校章、校歌が違うのが明確な証拠。議論は噛み合わない。旧養父中だけを議論に噛み合わせるようなことも不公正だ)。旧養父中こそが、唯一無二の、正当な、新養父中学校の前身校であるかのような誤認が、きっと特定の人々に共有されているのだろう。その間抜けぶりは気の毒だが、同情を通り越してもはや笑うしかない。ハハハ。
以上、本音。
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中学校統廃合前の状況を振り返れば、旧養父町エリアで、最も生徒数が多かったのは広中だった。最も多くの卒業生を輩出したのは、間違いなく広中だった。旧養父町エリアの中核校はまぎれもなく広中だった!ならば、卒業生自らが責任を持って、広谷中学校コミュを立ち上げなければ!
ということで、統廃合前世代(S49年3月生まれまで)の“正当的受け皿”として旗揚げです。
広谷小学校卒業生、浅野小学校卒業生、船谷地区の方、是非ご参加ください。若年世代皆無の中年率の高いコミュになりそうですが、何とか盛り上げましょう。
広中に1年ないし2年だけ通ったという統合直後世代の方も、当然、歓迎。
思い上がった旧養父中学校区の連中・養父中コミュ・その管理人を指弾せよ!
校舎はボロくても、心は豊かだった by岩じい