東京へ来て9年
思わぬ所で、会いたかった人に偶然会うという体験が幾度かある
所沢高校の生徒会長やヨモギダ君等々。
僕の高校時代のヒーロー達に飲み屋で路上で唐突に出会った。
それでも会えずじまいの人がいる。
それがハガキ職人のアオミドロさんだ。
ニッポン放送「ohデカナイト」を放逐され、TBSラジオに電撃移籍した
伊集院光のラジオにハガキと、募集もしていないフリーファックスに
珍文を送り続けていた彼。今でこそ聴取率ナンバーワンの放送局となった
TBSラジオだが、当時はずっとマイナーな世界が拡がっていた。
言うなればニッポン放送と文化放送とFM東京のキャスティングから漏れた
マイナー芸人やミュージシャンたちの巣窟のようなありようで、
それは自身のアングラ気質と妙に親和した。幼いマイナー礼賛であったと
思う。その中で伊集院光の深夜の馬鹿力、ups、アップス、JUNK、は、
その地を利用しつくすかのように自覚的に遊んでいたと思う。
そんな番組で度々耳にしたアドミドロの名前。
ネット上の情報では札幌市→八王子市→新宿区→港区と住所の変遷が
あったようだ。この八王子という場所は有り体に考えて進学だろうと
思う。しかし私が耳にしていたアオミドロは「北海道の人」というイメージが
強い。進学となれば、二十歳そこそこだろうから、アオミドロは、早熟な天才少年となるのだろうか。あの谷口雅人も15歳でその佇まいを確立していたので頷ける話ではある。
だが谷口は現在放送作家/構成作家として活躍を見せるが、アオミドロの場合それはない。通常名の知れたハガキ職人は、錯誤を含みつつも、芸人や構成作家を目指したり、実際なったりするものなのだろうが、彼の場合は徹底したアマチュアのポジションに留まっている。しかもそのアベレージが高い。
電波歌合戦で、ギターマジ語り弾きの「ポアロ」出現に対抗するようにアカペラのテープを送ってきた時には爆笑した。伊集院光曰く「ギャグ一筋でやってきた奴にとって悔しかったんだろうな」と。
アオミドロさんは表に出ない。ハガキ職人コミュニケーションというのはネットでは饒舌に行われており、掲示板などで実は私という出現が頻繁にあったのだが彼はそこにも参画していない。都内在住ながら、出待ちなどにも現れない。そのストイックさの根源を知りたい。究極には本人を捜すコミュとしたい。彼に出会うためのコミュである。そこに90年代サブカルチャー論が導入されることとなる。ラジオカルチャーに関しては、いぜんマイナーなので散逸した音声資料、図版資料の集約の目的もある。今ラジオがアツいとか言われているが、その紛い物言説には与しない。確かにマイナーで、世間に一打を与えうる可能性を留保していた、あの時代を捉えたい。
アオミドロとともにあった頃、私は田舎の高校生だった。
そしてラジオを熱心に聞きハガキも書いた。ディレクターに顔と名前を覚えてもらえるくらいのあたりにはいた。この青二才に、偉大なる先駆者としてあったのが彼であった。今ハガキは書かず、芸人にも作家にもなっていないが、都内には住んでいる。なので超私的理由としてアオミドロ本人に会いたい。その動悸でこのコミュを作り、ネットカルチャーの端末に添える。