大正14(1925)年5月4日〜平成18(2006)年3月9日。
現代の巫女とも呼ばれ、古代的な詩の古層より発出するかのような呪的な表出により独自の短歌的宇宙を樹立、稀有な資質を持った歌人。
戦後短歌界の名伯楽、かの中井英夫が“前衛短歌”の礎を構築し、一応の役目を終えたと自他ともに認めたあと、おもむろに戦後短歌界にその姿を現した。
以前から、この高名な現代歌人のコミュがないのを訝しく思いつつ、魅惑的である反面、その難解、晦渋な作風に畏怖の念を抱かせるのが、軽々にコミュを作らせない理由ともなっているのか、と得心したような気にもなっていたが、意を決して作ってみた。
私は単に山中短歌に魅せられた素人に過ぎず、おそらく他に、より深く傾倒されている方や営々と作品研究を蓄積しつつある方がおられるはずだが、とりあえず単なる管理人として、コミュの維持を心がけていくつもりである。
一般読者には未知の古語や歴史的伝承や事跡に関する該博な知識や教養の集積が難解さを一層修飾しているものの、本当の難解さはその歌の声調や構造にこそあると言うべきだろう。
難解な歌を多く読んだ歌人だが、そこがまた同時に汲み尽し得ない魅力の源泉の一つになっているのも事実である。
試みに、山中の難解歌とその魅力について、吉本隆明が書いた『写生の物語』から引いてみる。
「シュール・レアリズムの詩を読むように、一首の意味やリズムの完結感を解体して非意味の方へひらいていくために言葉は運ばれている」
「超現実な詩が和語の文法の解体の仕方によって成立しているとすれば、短歌の超現実は山中智恵子のばあい声調の呼吸の仕方を一つだけひき伸ばすことで実行されているといってよい」
「これは総体からいって一呼吸引ひき伸ばされたために生じた短歌表現としての難解さと、その難解さの箇所そのものが秀歌の根拠だという位置に立っている」
「この歌人のこの類の作品によって、短歌表現を拡張していく方途が、まだたくさんの可能をもって存在することが、どれだけ暗示されたか量りしれない。とくに短歌がかけ値なしに日本語のソネットの一形式でありうる可能性はこの歌人の単独の表現の試みに帰せられるような気がする」
<歌集、その他> ―編集中
『空間格子』(1957)
『紡錘』(1963)
『みずかありなむ』(1968)
『三輪山伝承』(1972、評論)
『虚空日月』(1974)
『青章』
『短歌行』
『山中智恵子歌集』(1977、「現代歌人文庫」国文社)
(『紡錘』全篇収載)
『星醒記』(1984)
『星肆』(1984)
『神末(かうずゑ)』(1985、砂子屋書房)
『喝食天』
『鶺鴒界』
『夢之記』(1992)
『黒翁』
『風騒思女集』
『玉蜻』
『山中智恵子歌集』(1998、「現代短歌文庫」砂子屋書房)
(『夢之記』全篇収載)
『玉藻鎮石』(1999、砂子屋書房)
『玲瓏之記』(2004、砂子屋書房)
『山中智恵子全歌集』〈上・下巻〉(2007、砂子屋書房)
『玉すだれ』(2008年、未発表遺句集、砂子屋書房)
など
(2009.3.3、補足)