明治の教育者津田梅子さん。
を、研究したり、津田梅子さんについて学んだり、津田梅子さんから何か学んだり。津田梅子さんに関わるコミュニティーです。
元治元年12月8日(1864年12月31日)〜1929(明治4)年8月16日
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ググったんですが、ちょっとよくわからないことになってました。
どうなんですか?
どなたか詳しいかたおられましたら教えてください。
日本女子教育のパイオニア。
初名は「うめ」。
1902年に漢字表記に改めて「梅子」としたそうな。
父「仙」 母「初子」の次女として生まれる。
1871年に満6歳で岩倉使節団に随行し渡米。
ともに随行した5人の中では最年少であった。
アメリカではジョージタウンで日本弁務官書記のチャールズ・ランメン家という、気さくな名前の家に預けられる。
そして、その後ランメン氏には薦められていないが、1873年7月には特定の宗派に属さないフィラデルフィアの独立教会で洗礼を受ける。
1878年にはコレジエト小学校を卒業。
その後を私立の女学校であるアーチャー・インスティチュートへ進学する。
1881年には開拓使から帰国命令が出るが、在学中だったので、帰国時期を延期。
そして、1882年の7月に卒業し、11月にようやく帰国する。
1900年に父の仙やアリス・ベーコン、大山捨松、瓜生繁子、桜井彦一郎らの協力者の助けを得て、7月に現在の津田塾大学の前身である「女子英学塾」の設立、開校し、塾長となる。
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