圧倒的な静寂の中に潜む荘厳な空気。
かつては、高野山、比叡山と比肩された修験道の聖地。
その昔、九州の宮崎の高千穂から天手力雄命が放り投げた岩戸が戸隠山になったと言う。
戸隠神社。
その所在は長野県長野市(旧戸隠村)。
戸隠神社のコミュがなかったので新しく作りました。
戸隠神社に興味ある方、
お気軽にふるってご参加ください(・ω・)/
記紀における天孫降臨前の天岩戸伝説に関わる神々を中心に祭る戸隠五社。 長野県と新潟県の県境に切り立つ峻厳な戸隠山の麓に存在するこの神社について いろいろ情報交換しましょう。
戸隠神社に関することでしたら、何でもあり!ですが、
歴史や神話・伝承という観点からアプローチができればいいな、と思っています。
全国に散在する他の地域の戸隠神社の情報もありです。
蕎麦の話から古事記から修験道、スピリチュアルと言われるものまで、 役に立つ発展的なコミュになればいいと思っています。
よろしくお願いします。
※トップの写真は、奥社参道。
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■戸隠五社とは
◆宝光社(ほうこうしゃ)、旧宝光院。
創建:天暦3年(949年) ※現在地への鎮座は康平元年(1058年)
祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)→天八意思兼命の子。
位置:麓から登って最初にある社。
備考:奥社の相殿として創建。学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神。
◆火之御子社(ひのみこしゃ)、あるいは「日之御子社」
創建:天福元年(1233年)
祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
高皇産霊命(たかむすびのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)→高皇産霊命の娘
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)→栲幡千々姫命の夫
位置:麓から登って2社目。宝光社より1キロほど上。
備考:舞楽や芸能、火防の神。
他の4社が神仏混淆の時期も当社は一貫して神社。
◆中社(ちゅうしゃ)、旧中院
創建:天暦3年(949年)頃 ※現在地への鎮座は寛治元年(1087年)
祭神:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
位置:麓から登って3社目。火之御子社より1キロほど上。
備考:天孫降臨の要の1柱であった意思兼命を祭る。
境内の杉は天然記念物に指定。
◆九頭龍社(くずりゅうしゃ)
創建:不明 ※奥社より古い
祭神:九頭龍大神
所在:奥社に隣接
備考:戸隠の地主神として崇められている。
神仏混淆時の本地仏は、弁財天。
◆奥社(おくしゃ)、旧奥院、本院。
創建:孝元天皇五年(紀元前210年)
祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
位置:戸隠五社のうち一番奥。2キロほどの参道を歩く。
戸隠山の絶壁の直下。
備考:神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。
神仏混淆時の本地仏は、正観音。
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■歴史
◆平安期
前期:
学問という僧が奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
後期:
天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られ、修験道場戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。山麓の善光寺とも関連を強め、参詣者は一度に両寺を共に参詣することが多かった。
◆鎌倉期
〜『阿裟縛抄諸寺略記』(1275年頃)〜
平安期中盤頃の話として、飯綱山で上記の学問という行者が法華経を読呪していると南からやってきた前の別当が変化した九頭一尾の龍がやってきて成仏したという。その後岩窟に篭ったところを学問が大きな岩戸で封じた。これが「戸隠」という説あり。
◆戦国時代
武田信玄と上杉謙信との争乱に巻き込まれ、両軍によって絶えず危機に晒され、衆徒らが約30年間にわたり水内郡小川の筏が峰(現・長野県上水内郡小川村)に移り住むなど苦境の時期であった。
◆江戸初期
徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は修験道場から門前町へと変貌していった。
奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集める。
◆明治期
明治時代に入ると政府によって神仏分離令や修験宗廃止令が発布され、その結果廃仏毀釈運動が起きたため、戸隠山顕光寺は寺を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。
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