北宋末期のマルチ文人、知られざる名筆家・・・
米?の魅力にとりつかれ、愛してやまない人たちのためのコミュです。
米?とは
**************★Wikipediaよりコピペ★***********************<人物>
米?(べい ふつ、皇祐3年(1051年) - 大観元年(1107年)※生卒年に異説あり)は、中国の北宋末の文学者・書家・画家・収蔵家・鑑賞家であり、まさに典型的な文人である。蔡襄・蘇軾・黄庭堅とともに宋の四大家と称される。
初名は黻(ふつ)、字は元章、官職によって南宮、住拠によって海岳と呼ばれ、号は襄陽漫士・海嶽外史・鹿門居士などがあり、室名を宝晋斎といった。子の米友仁(1074年〜1151年)に対して大米と呼ぶ。湖北襄陽の人で、後に潤州に居を定めた(現在の江蘇鎮江)。
<略伝>
徽宗の側近に仕えて書画の鑑定にあたる。のちに礼部員外郎に抜擢され、この官職名がかつて南宮舎人といったので米南宮と呼称された。
その書は始め唐の顔真卿・?遂良を学び、のち東晋の王羲之、魏・晋の諸名家に遡って研究をすすめた。とくに行書・草書に多くの名品をした。 蘇軾とは親交が深い。 奇矯な性格で、しばしば狂人扱いされた。古書・名画を貪欲に蒐集。また奇石怪石の蒐集を趣味とし、名石に出会うと手を合わせて拝んだと伝えられる。
『宋史』文苑伝に伝えられる。
<著書>
『宝晋英光集』
『宝章待訪録』(1086年)
『書史』
『画史』
<参考文献>
中田勇次郎『米?』研究篇 二玄社、1982年
塘耕次『米? 宋代マルチタレントの実像』大修館書店、1999年
*********************************************************
※まだ立ち上げたばかりのコミュですし、管理人自信、書道科専攻でもなんでもなく、たんなる「カルチャーOL」ですので・・・
工事中のコミュですし、不行き届きな点も多々ありますが、徐々に体裁を整えていこうと思っています。
それまでは、ご容赦の程お願い申し上げます※
※管理人へのご要望は、お気軽にメッセージを下さい
◆検索キーワード◆
米? 北宋 北宋末 文人 名筆 書家 画家 収蔵家 鑑賞家 蔡襄 蘇軾 黄庭堅 四大家 唐 顔真卿 ?遂良 東晋 王義之 行書 草書