尾張国名古屋(愛知県北西部、名古屋市)の名古屋台地に築かれた中世から近世にかけての城郭【名古屋城】――。
『尾張名古屋は城でもつ』とも詠われたほど、名古屋は名古屋城とともに生まれた街、名古屋城は今も変わらずこの街の象徴である。
前身となった室町時代の那古野(なごや)城を基盤として、関ヶ原の合戦後に征夷大将軍・徳川家康の命で築城名手・加藤清正の他外様大名らにより、西国の抑え名古屋城が築城される。以後版籍奉還まで200年以上、61万石強の尾張徳川家の居城として繁栄を極める。
青銅瓦の層搭型、大天守五層小天守二層の連郭式天守閣を配し、平城でありながら梯郭式縄張を持つ、攻撃的な城郭形式である。明治期の廃城令後、残された遺構が「元離宮名古屋城」として国宝に指定されるが、第二次大戦によりその多くが灰塵に帰する。
今ある名古屋城天守閣は昭和34年(1959年)の再建により再びお目見えした復興天守閣である。その他西南隅櫓など3櫓、二ノ丸大手門二ノ門など2門は現存する建物で重要文化財。在りし日の名古屋城を伝える大変貴重な遺構である。
なお名古屋城と言えば金の鯱(しゃちほこ)が有名であるが、築城当初は幕府の威厳誇示のために純金215kg以上を惜しげもなく使用し鋳造された、最高級の意匠である。世界的にみても昼夜、雨風にさらされた黄金の鋳造物はこの名古屋城の金鯱だけと言われる。
現在名古屋市は[NC400](※1)というキャンペーンの一環で、名古屋城本丸御殿再建に力を入れている。
(※1 Nagoya City・Castle・Cultureと名古屋市生誕400年の意味)
名古屋市民や愛知県民の方や、名古屋城好きや名古屋嬢(笑)までみんな参加しなあかんがね☆
困ったときには