カープのエースは誰だと聞かれると答えはいろいろあるだろう。長谷川良平、外木場義郎、北別府学、大野豊、黒田博樹・・・
でも僕はこの人の名前を挙げたい。山根和夫。
背番号35→17のこの人はいつもシーズン後半からぐーんと調子を上げ、日本シリーズで快投を演じ、カープを3度の日本一に導いてくれました。
近鉄の大エース鈴木啓示と投げ合って勝てた試合は忘れません。
コミュがなかったので立てました。
是非、日本シリーズ男、山根和夫の思い出を語りましょう。
<山根和夫(WIKIより抜粋)>
出身地 岡山県真庭市
生年月日 1955年8月2日
右投右打
投手
プロ入り 1975年 ドラフト2位
初出場 1977年8月25日
経歴
岡山県立勝山高等学校
日本鋼管福山
広島東洋カープ(1977 - 1986)
西武ライオンズ(1987 - 1990)
広島入団時はチームで一番球が速く、150キロぐらい出ていた。しかしノーコンで、投球フォームをノーワインドアップにしてコントロールが安定した。直球のスピードは落ちたが、新しく覚えた浅い握りの高速フォーク、今で言うスプリットフィンガード・ファストボール(SFF)を駆使し主力投手となった。1984年には16勝を挙げ優勝に貢献した。
また日本シリーズに弱かったエース・北別府学に代わり、シリーズの主戦投手として活躍。特に1984年の日本シリーズで、この年三冠王を獲った阪急のブーマーをエグいシュートで完璧に抑え、チームに3度目の日本一をもたらした。その後右肩痛のため1985年から3年間は未勝利だったが、1986年オフに西武に移籍するとリリーフで復活した。
よくコメディアンの団しん也に似ていると言われた。また笑ってるわけではないのだが、笑ってるように見える顔が損をして、ノックアウトされてベンチに帰る時、「ワリャー、なに笑いよんなら(お前なんで笑ってるんだ)」などと、随分酷いヤジを飛ばされた印象が強い。しかし達川光男が正捕手になるきっかけを作ったのは山根である。
通算成績 278試合 65完投 12完封 17無四球 78勝 64敗 8S 1320.1投球回 486自責点 3.31防御率
最優秀投手 1984年
ベストナイン 1984年
オールスター出場 1980年、1984年
山根和夫 広島東洋カープ 日本一 日本シリーズ 17 SFF
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