南部アメリカン・ロックを代表するギタリストといえば、ディッキー・ベッツ。
あまりにもデュアンの才能と印象が強すぎて、オールマンズでは影が薄くなりがちの存在だった。
しかし、彼がいなければ、デュアンとのドラマチックなツイン・リードは完成しなかっただろう。
オールマンズ結成の少し前、スタジオミュージシャンの仕事に限界を感じたデュアンが、スタジオ知り合ったジェイモやブッチ・トラックスを誘ってセッションを繰り返していた。
そのときディッキーはベーシストのベリー・オークリーとバンドを結成していたが、何度かのセッションの後に、ベリーと共オールマンズに誘われ加入する。
最後にサンフランシスコにいたデュアンの弟、グレッグをマッスルショールズに呼んでオールマンズは結成され、1968年にレコード・デビューした。
オールマンズはロックからブルース、ジャスからカントリー、はてまたソウルまでブレンドして、数多くの素晴らしい曲を作った。
しかし、特筆すべくはディッキーの作った曲に名曲が多いことである。
初期のエリザベス・リードや中期のジェシカやブルースカイなども彼の作曲である。
その後、オールマンズは度重なる悲劇に見回れる。71年にデュアンがバイク事故でなくなり、72年には同じくバイク事故でベリーが亡くなってしまうのである。
しかし、ディッキーはデュアンの穴をキーボードのチャック・リーベルと共に埋め『ブラザーアンドシスターズ』でオールマンを復活させた。
しかし、オールマンズは82年、メンバーのソロ活動が増えるなか新たなるトラブルで解散。
そんな中でもディッキーはめげずにグレート・サザンを率いて活動を継続していった。
やがて89年にオールマンズは、新たにギターのウォーレン・ヘインズを迎えて、再び結成に至ったが、2000年になりグレッグから薬と酒の中毒で、ディッキーはもう満足にギターは弾けないという理由で解雇され、現在は再びソロ活動に戻り活動をしている。
まさに半世紀にわたるディッキーの音楽史はオールマンズと共に歩んできたといっても過言ではないだろう。