なかったので、とるものもとりあえず、コミュニティを設立してみた。
『恋姫†無双』で、中國の歴史を勉強しましょう。
【孫尚香】 真名:小蓮(しゃおれん)
カレーみたい。
孫権の妹。「弓腰姫(きゅうようき)」とあだ名される。
勝気な性格で仲間の兵を撤退させるため、単騎で趙雲に立ち向かった。
「弓腰姫の呼び名は伊達じゃないわよ!」
「今度会ったら『大きさ、形、色、つや、感度、弾力、味』の七番勝負だからね!」
(cv 北都南/ひと美)
【三国志】
按ずるに朋党の名は東漢の周福、房植より始まる。二人皆桓帝に用いられ、互に党を樹てて対立し、一転して宦官と李膺等の反目となり、清濁相軋り正邪相争うもの数十年、国勢凌夷して復た振わず、延きて董卓の専権となり、三国の分立となりて、東漢は遂に滅亡せり。当時朝廷に於ては儒術を崇尚し、学校を興し、大学生の数三万人と称せられたるも、其の学生も亦互に相排斥し、儒術崇尚は告朔の餼羊に過ぎざりき。
【上(かみ)】
勿以惡小而爲之
(あく せうなるをもつて これをなすことなかれ)
これは有名な諸葛孔明(はわわ軍師)の仕えた蜀の昭烈皇帝が、崩御に臨んで皇子の劉禅に遺言された一節で、全文は『悪小なるを以て為すことなかれ、善小なるを以て為さざることなかれ』と云うのである。
昭烈皇帝の崩御は今から千七百七十八年か千七百十六年以前に当るが、この遺言は支那の歴史上では相当名高いものとなっている。
さて遺言の趣意は、悪いことはいくら小さくともするな、善いことはいくら小さくとも放って置くな、と云うので、今少し詳しく云えば、小さい悪事も段々積れば大なる悪事となり、小さい善事も段々積れば大なる善事となるから、よく注意して悪に遠ざかり、善に親しむ様にせよと云うのである。
仏法の法で『諸悪莫作、諸善奉行』即ちもろもろの悪事はするな、もろもろの善事は努めて行え、と云う言葉と似ているが、昭烈皇帝の遺言の方が幾分徹底的で、ハッキリしている様に考える。
大事業を成し遂げる人は細事に拘泥せず、少々の失態は世間でも見逃してくれるだろうと、平気で押し通す風があるが、これは甚だ間違ったことで、その人が偉くなればなる程、小さい失態も大きい失態となる訳である。
【皇子】
引喩失義
(たとへをひきて ぎをうしなふ)
これは諸葛孔明(はわわ軍師)の出師表に載っている言葉である。
孔明は三国時代の有名な忠臣で、大宰相の位に登ったが、魏の国と戦う為に自ら大軍を率いて出発するに際し、天子は未だ若年であったから、留守中のことが心配になる処から、上奏文を作って色々と注意を与えたのがこの出師表で、全文は長いから茲に掲げる訳にはいかないが、試にこの一節を挙げれば『自ら妄りに卑薄にし、喩を引き義を失ひ、以て忠諫の道を塞ぐべからず』と云うのである。
その意味は、自分で自分を卑屈にし、引込み思案ばかりして、忠臣がこれを諫めれば、道理に叶わぬ喩を引いて、何の彼のと理屈を並べ、忠義の道を塞ぐと云う様なことがあってはならぬ、と云うのである。
昔から良薬は口に苦く諫言は耳に逆うと云ってあるが、大抵の人は側から忠告を受けた時に、従順にそれを受け納れず、何の彼のと自分勝手の理由を付けて、その忠告を打返す。
これは誠に悪いことで、斯様な人は卑屈か頑固か、兎に角修養の足らない、向上心の少い人である。悪い処は理屈なしに改めて行かねばならない。
図案:日陰 影次
新着!
張宝地和
http://
困ったときには