1994年、和歌山県立紀北工業高校。そこにあるクラブの名が掲げられた。その名は「生産技術部」
そのクラブの担当となる両顧問は言った。「このクラブはただの仲良し部ではない。学生が技術を学び、仲間と共にその技術を研鑽する場でなければならない。」校長は会議室で静かに頷いた…
まさにその時こそ「生産技術部」発足の瞬間である。
―名前を聞いただけでは何をしているのかわからない―そんな変態クラブに引き寄せられた彼らは、「ものづくり」それにただひたすらに技術を磨いた。ソーラーラジコンカ−を皮切りに、ソーラーカー・リッターカー・エコノムーウ゛・相撲ロボット・マイコンカーラリーetc...
2人の顧問に率いられ、結果を残しながら、彼らは経験を積み重ねてゆく。
深夜いや、徹夜をしてまでも休みを削ってでもひたすら磨いた。それを支えるのは情熱の炎か青春という名の若き血潮か。
その目が見据えるは一番の文字。オンリーワンという言葉なぞ必要ない。欲するのはその山の頂のみ。
「ものづくり」
汗を流し、血を流し、空腹すらも忘れ、まともな宿にも泊まらず、一心不乱に磨いていった。笑いながら、悩みながら。
ある者は叶え、ある者はあと少しで掴みそこね、ある者は今も追い続ける。
世代を越えて己を磨き続ける「生産技術部」。
このコミュニティは、そんな忘れ難い時間と経験を共に過ごした者たちが集う為、いまここ掲げる。「生産技術部」の名を、今、ここに・・・