真のHIPHOPジャンキーは、彼等(FAT BOYS)をチェックすべき
中古レコード屋では、とかく安値で売られているがBUT
めちゃくちゃカッコいいのである
(安かろう=悪かろうではない)
RUN DMCやBEASTIE BOYSやLL COOL J等
メインストリームなオールドスクーラーの陰に埋もれた
隠れた大物です
HIPHOPを沢山聴いてる方は
耳馴染みのスクラッチネタ
バトルブレイクに多用されたフレーズに反応をするでしょう
特に"STICK EM"と"HUMAN BEAT BOX"は必聴お宝フレーズ満載
まさにHIPHOPクラシック
【メンバー詳細】
トップ画像
左:BUFFY
中:KOOL ROC-SKI
右:PRINCE MARKIE DEE
【BUFFY】バフィー
1967年6月10日生まれ
HUMAN BEAT BOXのパイオニア
メンバー1の巨漢
(デビューアルバム時はさほど太っていないが、後期になるにつれ大きくなっている)
彼のトレードマークと言える巨漢がたたり心不全により(体重ピーク 204kg)
1995年12月10日 他界 享年28歳
【KOOL ROCK-SKI】
FAT BOYSのメンバーでありながら、あまりFATではない
存在感が薄いのか
詳細データ無し
【PRINCE MARKIE DEE】
1960年2月19日生まれ
メンバー1ビジネスに長け
プロデューサー&ラジオのホストDJも努める(マイアミ局:WMIB)
後に歌姫 メアリーJブライジ ジェニファーロペスの楽曲もプロデュース
彼も年々FATさが見事になり、健康状態が危ぶまれる
【作品一覧】
1984年:デビューアルバム"The Fat Boys"リリース
1985年:2ndアルバム"The Fat Boys Are Back"
1986年:"Big&Beautiful"
1987年:"Crushin"
1988年:"Coming Back Hard Again"
1989年:"On And On"
1991年:"Mack Daddy"
1997年:"All Meat No Filler"(ベストアルバム)
以下はWEBより抜粋
バフこそ英雄だ。日本にヒューマン・ビートボックス(HBB)が普及したのは、間違いなくヒューマン・ビートボクサー=AFRAの功績である。
もちろん、AFRAよりも前にニューヨークで生まれたこの技巧を日本に運んできたアーティストも少なからずいたワケであり……と、話が本旨からズレてしまわないうちに軌道修正。
ここで言いたいのは「バフこそ英雄だ」ということなのだ。
キワモノ、もしくはイロモノ扱いされているなかでデビューを果たしたデブ3人衆、それがファット・ボーイズである。
なぜ彼らが世間一般からそういう扱いを受けていたかというと、そのファットでコミカルな容姿もさることながら、主要メンバーのバフが見せるHBBが、まだヒップホップの大切な要素としての市民権を獲得していなかったからであろう(もちろん、彼らも自ら進んでコメディアンに徹していたワケだが)。
今でこそDJイング、MCイング、Bボーイング、ライティングに次ぐヒップホップのエレメントは“ターンテーブリズム"、もしくはこのHBBと巷に認識されているが、当時のニューヨークではバフの他にHBBをやっていた人はほとんどいなかったハズ。
結果、多くのフォロワーを生み出すことになった彼の素晴らしい芸能を、80年代前半のTV番組はこぞって(ホントか?)放映した。
さらに、どんなフォロワーたちよりも太いキック音をその太鼓腹から発することができた彼は、地元を中心に多大なプロップを獲得していったのである。
現在、世界一HBBに長けている人物、それは元ザ・ルーツのラゼールに違いない(異論を唱える輩はいるだろうか?)。
彼やダグ・E・フレッシュも間違いなくHBBのパイオニアなワケだが、バフがTV番組やラジオ、そしてビーチ・ボーイズとのコラボや代表曲「ラップ・オペラ」などを通してHBBを世界に広く紹介しなければ、正直この口芸術が今様までの人気を得ているとは考えにくい。
もしアナタがヒップホップを嗜好する人ならば、95年に亡くなったバフを心から悼んで欲しい。
バフはヒップホップ・シーンのヒーローのひとりなのである。
困ったときには