橘家圓太郎(円太郎)師匠を応援する。
1962年 09月 28日生まれ。
09年7月22日。
浅草演芸ホール、7月下席夜トリは、橘家圓太郎師匠。
さん喬師匠が「短命」で笑わせ、小円歌姐さんが三味線漫談のあと久しぶりに「奴さん」を踊って膝代わりをつとめて、
さあ、20時35分。
円太郎師匠、登場。
何人か帰った客に、
「わたしは、お客さまがお帰りになっても、お時間がたまたまなかったのだろう、お忙しいご用事をお持ちだったのだろう、駅に誰かを待たせていたのかも知れない、そして、わたしの芸が至らなかったのだと、思うようにしております。
わたしの芸がもう少しあれば、たとえ急いでらっしゃっても、たとえ大切なご用事をかかえてらっしゃったとしても、たとえ駅にひとを待たせていたとしても、ああ少し遅れるかも知れないが、このおとこの芸を見てから行こう、と思わせることができるかも知れない。
いまお帰りになった方のお顔をわたくしは、はっきりと覚えております。
その方のお顔を、趣味の絵画で紙に描いて目の前の壁に貼りまして、ああ、お客さま、わたしはもっともっと芸に精進いたしまして、次回観に来てくださったときには、立派な芸をお目にかけます。
ですから、どうか、お近いうちに、またこの演芸場に来てくださり、立派になったわたくしの芸をその目で観てください、と言って、手に持ったナイフを壁のその絵に・・・・」
のマクラから、
「兄イ、男ばっかりで酒飲んでておもしろいかい?」
という、酔っ払った江戸っ子が、隣の部屋の薩摩隼人と大喧嘩をする落語「棒鱈・ぼうだら」へ。
21時07分までの熱演でした。
「心配するな、コショウがはいった・・・」
でサゲると、師匠のカオは汗びっしょり。
九分はいった会場からは惜しみない拍手が。
1962年、福岡県出身。子供の頃から落語好きで、高校生のとき地元ラジオ局のコンテストで優勝。1982年、春風亭小朝に入門し、春風亭あさりを名乗る。87年、二ツ目昇進。97年に真打ち昇進し、八代目橘家圓太郎を襲名。98年、芸術祭賞演芸部門新人賞。2003年花形演芸大賞受賞。舞台「榎本武揚」や映画「不法滞在」等にも出演。趣味はトライアスロン、自転車、カメラ、篠笛、犬の調教と多才。第一回東京マラソンも完走し、そのまま寄席の高座もつとめた。落語協会所属。出囃子は「円太郎囃子」。(プロフィール、写真ともHPより)
コミュ開設後、
90日で、8名参加。
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のなかなかコアなコミュです。
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