脚韻とは、つまり行の最後の音を揃えることで、欧米や中国でも、詩の主流は昔から脚韻詩でした。しかし、日本の詩で脚韻を揃えるのは、漢詩のみで、他は例外的なお遊び。前世紀中頃にマチネ・ポエティック運動のような試みもありましたが、西洋詩の技法そのままに母音だけを合わせていたので、まったく根付きませんでした。なにしろ読んでも、脚韻がなされているとは全然気付かないのだから、無意味きわまりない。余計な労力でしかないと感じられて当然でしょう。
でも、本当は欧米の詩にも定型はしっかりあったのですよね。日本の翻訳がそれを削り落としていただけで。
【脚韻詩の宣言】
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三宅惺の詩と「脚韻詩の宣言」に心を揺さぶられて、詩に目覚めました。
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【三宅惺】
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