西田幾多郎は主著「善の研究」において「個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである。」と説いた。
また、和辻哲郎は個人と社会との二つの側面が統一された間柄的存在である、人間の二重性格の弁証法的統一を強調した。
例えば音楽等の芸術に触れ合う時、主客未分の状態でそれらを経験すること。これを純粋経験と定義したのは西田幾多郎であるが、Christian Pierre、彼は天性の哲学的思考と洞察を駆使して、万物を純粋経験する。つまり彼は多種多様な純粋経験に裏打ちされた存在なのである。
また、彼は歴然とした個人でありながら、他者への能動的な啓蒙、交流、異空間への感興及び経験により、実体が或る様だが、一網打尽に捕らえきれない魅力を持つ。つまり彼は和辻氏の言うところの「人間の二重性格の弁証法的統一」の権化なのである。
その博学且つ前衛的存在はそう遠くない未来に空前絶後のセンセーショナルを巻き起こすかも知れない。