伊達政宗の乳母にして、片倉小十郎景綱の異父姉にして母代わり。
そんな姉さんのコミュがみあたらなっかたので、作ってしまいました。
片倉 喜多 かたくら きた
天文8年(1539年)? - 慶長15年(1610年)7月
戦国時代の東北の武家女性。伊達政宗の乳母として有名である。
別名「喜多子」「少納言」「政岡」(正岡)。
父は伊達氏の猛将として知られていた鬼庭左月良直、母は本沢直子と伝えられる。母が生んだのは喜多一人だけで、その後長年子供に恵まれなかった。このため、鬼庭家の断絶を恐れた良直は妻と離婚し、母は喜多を連れて鬼庭家を出、片倉景長に再嫁した。ところが、皮肉なことにその後直子は景長の男子を生む。これが後の片倉景綱である。一方、父・良直も再婚し、異母弟・綱元が誕生、喜多はその後の伊達氏を支える二人の名将の姉となった。
その後、伊達輝宗の命により、政宗の「乳母」を拝命する。喜多は独身であったことから、実際は養育係であったと考えられる。政宗成長後は正室の愛姫付きとなったらしく、後に豊臣秀吉の人質となった愛姫と共に京へ上洛する。ところがその直後に政宗の勘気をくらい、蟄居。以後は、異父弟・景綱の在所である白石に移り、出家して庵を結び、そこで生涯を終えた。享年72。生涯独身を貫いた。墓は宮城県白石市の片倉家墓所。
後に、愛姫の願いにより愛姫の従兄弟である田村宗顕が白石に移ると、その縁により宗顕の息子・田村定広が喜多の名跡を嗣ぎ「片倉定広」を名乗った。
以上、ウィキペディアから引用
現在、白石市の市章となっている『黒釣鐘』は、
「片倉の名を天下に鳴り響かせよ」と喜多が考案し、小十郎に贈ったものと伝えられています。
また、片倉小十郎景綱の墓標がある傑山寺。
元々は母代わりであった喜多の死を悲しんだ小十郎が建てたお寺が元だとも言われているそうです。
そんな喜多姉さんが大好きだ!な方が集まってくれれば、と思います。
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