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ダイナマイト・キッド

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詳細 2024年3月7日 01:12更新

彼がトップロープに登るたび身を乗り出し、跳躍の瞬間まで固唾を呑んで手に汗握り、着弾と同時に頭を抱え身悶えた方…。

爆弾小僧の勇姿を今、再び! 


参加された皆さん、いつも有難うございます♪

キッドの素晴らしさ、みんなでシェアしていきましょう!

★トピはダブらないようにして、自由に作って下さいね★

皆さん、よろしくお願いします^^

☆★☆DYNAMITE KID☆★☆

本名はトム・ビリントン(Tom Billington)。

ビリー・ライレージム出身で、カナダのカルガリーで頭角を現し、1980年代後半はWWFでも活躍。

日本マットにおいては初代タイガーマスクと抗争を展開し、「肉体の表面張力の限界」とまで言われた鍛え抜かれた筋肉を備え人気を博した。

過剰なまでの受身で対戦相手の攻撃を引き出す一方で、スピーディかつ直線的、自らの危険すら顧みない妥協なき攻撃スタイルから「剃刀戦士」と形容された。

このスタイルは後世のレスラーらにも多大な影響を与え、彼を目標に掲げるレスラーは今なお多い。

1975年、17歳の時にイギリスでデビューし、ビッグ・ダディらクラブトリー3兄弟の主宰するジョイント・プロモーションで活動、

1978年1月には、ジム・ブリークスからブリティッシュ・ウェルター級王座を奪取☆

同年4月にカナダのカルガリーへ渡り、スチュ・ハートのスタンピード・レスリングに定着、7月に英連邦ミッドヘビー級王座の初代王者に認定され、以降ブレット・ハートとタイトルを争った。

1979年7月、国際プロレスに初来日。阿修羅・原のWWU世界ジュニア王座に挑戦して引き分ける。

1980年1月からは新日本に移籍、ジュニアヘビー級の選手として藤波辰巳や初代タイガーのライバルとなって活躍した。

1984年1月に新日本で開催されたWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦では、従兄弟のデイビーボーイ・スミスとザ・コブラの3者が同点で並び、三つ巴決定戦を制してチャンピオンに輝いている。

この間、北米ではカルガリーを主戦場にしつつアメリカ本土にも進出。

1982年8月30日には新日本のブッキングで NYのMSGに初登場し、初代タイガーと対戦。

1983年はオレゴン州ポートランドを本拠地とする太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)で活動、9月にカート・ヘニングを破りNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得☆

11月にはジ・アサシン(デビッド・シェラ)と組んでヘニング&バディ・ローズから同タッグ王座を奪取☆

本拠地のスタンピード・レスリングでは、1984年3月にキラー・カーンを破りメインタイトルの北米ヘビー級王座を獲得☆

1984年11月、全日本へD・スミスと共に移籍。

新日本のMSGタッグリーグ戦に出場が予定されていたキッド&スミスが全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦するという衝撃的な移籍劇であり、当時新日本と提携していたWWFの総帥ビンス・マクマホン・ジュニアはこの事態を受けて急遽来日、G馬場と選手引き抜き問題に関するトップ会談を持った。

キッド&スミスは1985年の最強タッグにも参戦するなど全日本マットでも活躍。この時期にスミスと共にウエイトアップを図りヘビー級へ転向した。

(当時の公称として、108kgまでビルドアップしたと言われている)

1985年にWWFと契約し、スミスとのタッグチーム "ブリティッシュ・ブルドッグス" で活躍。

1986年4月にはレッスルマニア2のLA大会に出場し、ドリーム・チーム(G・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)からWWF世界タッグ王座を奪取した☆

シングルでは、 1985年11月のPPV "The Wrestling Classic" で行われた16人参加のワンナイト・トーナメントに出場、1回戦でニコライ・ボルコフ、2回戦でA・アドニスを破り勝ち進んだが、準決勝でR・サベージに敗退した。

また、B・ブルドッグスのライバルチームだったルージョー・ブラザーズのジャック・ルージョーとは犬猿の仲で、バックステージでの私闘騒ぎを起こしている。

1986年12月13日、カナダのハミルトンでのタッグマッチ(B・ブルドッグスvsカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコ)において、試合中のアクシデントにより椎間板に重傷を負った。

この負傷は、キッドのその後の選手生命に大きな影響を与えることとなった。

1988年末にWWFを離脱し、1989年からは再び全日本へ復帰。
1990年にD・スミスとのコンビを解散してからはジョニー・スミスとニュー・ブリティッシュ・ブルドッグスを結成し、アジアタッグ王座を獲得☆

1991年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終日に現役引退を表明したが、1993年7月に復帰。

1996年10月にはみちのくの両国大会に来日。
D・カラス&小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク、M・マスカラス、G・サスケ組との対戦で久々に日本のファンの前へ姿を現した。

全盛期の鍛え上げられた肉体、スピードとパワーを兼ね備えたダイナミックなレスリングスタイルは後世の数多のレスラーらに大きな影響を与えた。

特に初代タイガーとの一連の試合を見てレスラーを志した者は多く、クリス・ベノワもその一人であった。
そして今なお、憧れの、あるいは影響を受けた人物として挙げるレスラーは数多い。
(Wikipediaより)

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開設日
2004年9月12日

7179日間運営

カテゴリ
スポーツ
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